美術監督 ・ スタジオ風雅 ・ ムーンフラワー ・ 人物評伝
水谷
利春
水谷利春 ・ 小林プロ 1972年 ・ スタジオ風雅 1983年 ・ ムーンフラワー 1997年
小林プロダクション 1972年 → スタジオ風雅 1983-1997年 → ムーンフラワー 1997年 → 現在
彼は存在したことのない都市のうち、もっとも影響力のある一つ ― ネオ東京を描いたことでアニメーション史に名を刻んだ。『AKIRA』(1988年)美術監督、スタジオ風雅の創設者、そしてムーンフラワーの創設者 ― 水谷利春は、小林プロダクションと大友克洋を結ぶ連鎖のなかで、もっとも控え目でありながらもっとも決定的な環なのである。
小林プロからスタジオ風雅へ ― 戦略的な独立
水谷利春は1972年に小林プロダクションに合流する ― 同スタジオの設立から四年後、出崎のもとで全面的に発展しつつあった時期である。彼はチームの主要な絵描きの一人となり、美術監督としての責任へと昇進してゆく。小林の下で、彼は『ルパン三世 カリオストロの城』(1979年、宮崎)の背景に参加し、『スペースコブラ』(1982年、出崎)の第1話から第19話までの美術監督に署名する ― チーム内には木村真二もいた。
写真(M.El Uasti 蔵『Topcraft』書籍より)左から右へ:永良拓己、大野広司、宮崎駿、男鹿和雄、水谷利春1983年3月3日、水谷は稀有な決断を下す。師のスタジオを離れて自身のアトリエを設立するのである。大野裕美子(大野広司の妻)を当初の協同者とし、まもなく小倉と大野がこれに合流して、スタジオ風雅が杉並区に誕生する。水谷は1983年から1997年まで ― 14年間 ― その代表を務めることになる。
『AKIRA』(1988年) ― 存在しなかった都市を描く
1986年、大友克洋は自身の『AKIRA』翻案のための美術監督を探していた。予算は11億円 ― 絶対的記録であった。挑戦の内容は、160,000枚以上のセル画 ― そのうち数百枚は、誰もこの規模で試みたことのない視覚的一貫性を要する、完全に架空の終末論的メガロポリスであるネオ東京の背景 ― を描き上げることであった。水谷は引き受ける。
ベルリンのチョバン財団で2022年に開催された展覧会『AKIRA — ネオ東京の建築』のキュレーターであったステファン・リーケレスは、展示された59枚のオリジナル背景に対する彼の仕事を文書化している。
水谷はネオ東京のために極端なパレット ― 夜間の都市シーンには酸性の緑と濃烈な赤 ― を用いて、街に奇妙で異常な外観を与えている。他の美術監督なら色を正常化したであろうところを、彼は不快感に至るまで押し進めるのだ。これこそが、ネオ東京に生きた病んだ有機体としての存在感を与えているものである。
― ステファン・リーケレス、AKIRA — ネオ東京の建築、ベルリン、2022年
『AKIRA』の背景はポスターカラーの驚異的な熟達 ― 重ねられた層、物質的な質感、複数の消失点を持つ建築透視図法 ― を明らかにする。それらは単なる装飾ではなく、自立したタブローなのだ。水谷はまた「パッケージ・イラストレーション仕上げ」 ― 映画の販促ビジュアル、すなわち象徴的なポスターを含む ― にも署名している。
スタジオ風雅 1983-1997年 ― 14年の経営
水谷の指揮下で、スタジオ風雅は日本でもっとも引っ張りだこの背景アトリエのひとつとなる。同スタジオは TMS、マッドハウス、プロダクション I.G のために働き、多くの主要シリーズの背景を制作する。水谷はここで複数の絵描きを育成し、彼らもまた後に美術監督となる。
水谷代表下のスタジオ風雅の制作物には以下が含まれる。『魔女の宅急便』(ジブリ背景、1989年)、『YAWARA!』、『河童の三平』、そしてジブリおよびマッドハウスへの企画寄与。1997年、水谷は完全な独立を決断する。
ディズニーとの関わり ― あまり知られていない側面
スタジオ風雅時代を通じて、水谷はディズニー作品でも仕事をしている ― 日本のアニメーションに関するフランス語圏の記事ではほとんど触れられない事実である。彼は『くまのプーさん』や『ダックテイル』といったテレビシリーズの背景に貢献している。これらは80-90年代を通じて日本に部分的に外注されていた作品である。
ムーンフラワー設立後も、この国際的協働は続く。『ノートルダムの鐘 II』、『101匹わんちゃんII』、『ピグレット・ムービー』などがクレジットされている。この二重活動(日本のアニメ+欧米下請)は、小林学派の方法論の可塑性 ― きわめて異なるグラフィック世界に、自身のアイデンティティを失うことなく適応する能力 ― を実証している。
私は新しい作品のための「ロケハン」と呼ばれるもののために、訪れたことのない国や場所を旅するのが好きだ。過去、未来、想像のものであろうとも、作品の世界に没入することが重要だ。そのためにあらゆる種類の映画を観て、写真や絵画を味わう。
― 水谷利春、British Animation Awards
ムーンフラワー(1997年) ― 飛翔のなかの第三幕
1997年、水谷はスタジオ風雅を離れ、1997年8月8日にムーンフラワーを設立する ― 三十年で三つ目のスタジオである。設立時には12名のアーティスト、資本金300万円。ムーンフラワーは2000-2020年代の主要作品のために背景を制作する。『ゲド戦記』(ジブリ、2006年)、『サマーウォーズ』(細田、2009年)、『鋼の錬金術師 シャンバラを征く者』、『BLEACH MEMORIES OF NOBODY』、『リトルバスターズ!』、『クジラの子らは砂上に歌う』、『ダンまち』とその続編。
ムーンフラワーは2026年現在も活動している。水谷はそこで、現代のデジタル・ワークフローに方法論を適応させながら、丁寧に描き込まれた背景の伝統を維持し、多くの年次企画で美術監督を務め続けている。
選別フィルモグラフィー
| 年 | 作品 | 役職 | スタジオ |
|---|---|---|---|
| 1972 | 小林プロダクション ― キャリア開始 | 背景画家 | 小林プロ |
| 1979 | ルパン三世 カリオストロの城 | 背景 | 小林プロ |
| 1982 | スペースコブラ(TV、第1-19話) | 美術監督 | 小林プロ |
| 1983年3月3日 | スタジオ風雅設立 | 代表 | スタジオ風雅 |
| 1988 | AKIRA | 美術監督 ★ + パッケージ・イラストレーション | スタジオ風雅 |
| 1989 | 魔女の宅急便 | 背景(スタジオ風雅) | スタジオ風雅 |
| 1992 | 火星夜曲(OVA、第4話) | 美術監督 | スタジオ風雅 |
| 1997年8月8日 | ムーンフラワー設立 | 代表 | ムーンフラワー |
| 2006 | ゲド戦記(ジブリ) | 美術監督 | ムーンフラワー |
| 2009 | サマーウォーズ(細田) | 背景 | ムーンフラワー |
| 2012 | リトルバスターズ!(TV) | 美術監督 | ムーンフラワー |
| 2017 | クジラの子らは砂上に歌う(TV) | 美術監督 | ムーンフラワー |
| 2020年以降 | ダンまちおよび続編 | 美術監督 | ムーンフラワー |
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