Home Studios スタジオ風雅
Studios

スタジオ風雅

Share
studio-fuga-ono-スタジオ-風雅-sakugaart
Share
スタジオ風雅 ― 三度創設されたアトリエ

背景スタジオ ・ 杉並 / 阿佐ヶ谷 ・ スタジオ評伝

スタジオ
風雅

スタジオ風雅 ・ Studio Fuga ・ 1983年3月3日設立 ・ 杉並 → 阿佐ヶ谷、東京

1983年3月3日設立 ・ 小林プロ → スタジオ風雅 ・ 大野広司、現代表 ・ 2026年現在も活動中

三人の絵描きが同じ月に小林プロダクションを離れ、自身のアトリエを設立する。四十二年後、スタジオ風雅は今なお活動を続けている ― 小林学派が生んだスタジオのうち、名前を変えなかった唯一の存在である。1997年以降の大野広司の指揮下で、『魔女の宅急便』、『AKIRA』、『ももへの手紙』、『おおかみこどもの雨と雪』、『百日紅』に署名してきた。

設立1983年3月3日
設立者水谷、小倉、大野 + 大野由美子
出自元・小林プロダクション 1972-1983年
専門手描き背景 ・ 美術監督 ・ 出版
歴代代表水谷 1983-97 → 小倉 1997 → 大野 1997→
所在地杉並(1983) → 中野 → 阿佐ヶ谷南(2024)
活動継続中 大野が2026年現在の代表取締役
取引先ジブリ ・ マッドハウス ・ I.G ・ 細田 ・ 沖浦

— I —

誕生 ― 1983年3月3日

1983年3月3日 ― AniDB が精密に記録する日付 ― 小林プロダクション出身の三人の絵描きが、新しい背景スタジオスタジオ風雅の設立を届け出る。水谷利春、小倉宏昌、大野広司は、小林七郎のアトリエでの修業 ― 水谷は十年、小倉と大野は六年 ― を経て、これを離れる。

法人化を法的に可能にした当初の共同設立者は大野由美子 ― 大野広司の妻 ― であり、水谷とともに最初の書類に署名する。小倉と大野はまもなく正式にスタジオに合流する。スタジオは杉並に隣接する中野区に居を構える ― いずれも東京のアニメーション集積地の地理的圏内である。

「風雅」(ふうが)という名は日本語で「洗練された芸術的優雅さ」「美への嗜好」を意味する ― 日本の伝統的美学、俳諧、山水画の芸術に結びついた語である。これはスタジオの志を物語る選択だ。単なる制作工房ではなく、美的な要求が優先される場所なのである。


— II —

創設者たち ― 自由な形での小林学派

水谷利春

水谷利春

グループの最年長。1972年から小林プロに在籍。スタジオ風雅の初代代表(1983-1997年)。『AKIRA』(1988年)の美術監督に署名。1997年にムーンフラワーを設立。当サイトの水谷の評伝を参照。

小倉宏昌

小倉宏昌

1977年に小林プロに入社。『王立宇宙軍 オネアミスの翼』(1987年)で初の美術監督。『攻殻機動隊』(1995年)の美術監督。1997年に風雅を離れ、2007年にアトリエ小倉を設立。当サイトの小倉の評伝を参照。

大野広司

大野広司

1977年に小林プロに入社(小倉と同じ日)。『魔女の宅急便』(1989年)の美術監督。1997年以降スタジオ風雅の代表。当サイトの大野の評伝を参照。

大野由美子

大野由美子

大野広司の妻。当初の共同設立者。スタジオの法的・事務的な設立における彼女の役割は ChannelDraw(AKIRA展2022年)によって文書化されている。

この設立において注目すべきこと。三人の主要な絵描きは1983年以降、根本的に分岐する軌道を歩む。水谷は1997年まで風雅の代表にとどまり、その後ムーンフラワーを設立する。小倉は押井との関係を発展させながらそこで働く。大野は1997年に代表を引き継ぎ、二度と手放さない。三つの異なる個性、ひとつの共同スタジオ、四十年の制作なのである。


— III —

『AKIRA』の頂点(1988年) ― 世界的な聖別

設立から五年後、スタジオ風雅は永続的な国際的評価を与えることになる映画の美術監督に署名する。大友克洋の『AKIRA』(1988年)である。水谷利春が美術監督。小倉宏昌は複数の背景に貢献する。大野広司もそこで働き始める ― だが『キキ』のためのジブリからの呼びかけを受け、制作途中で離れる。

展覧会『AKIRA — ネオ東京の建築』(チョバン財団、ベルリン、2022年)は、映画に由来するスタジオ風雅のオリジナル背景59点を展示した。この仕事が日本国外で展示されたのは初めてである。美術評論家とアニメーションの専門家たちはその仕事の規模を発見した。各背景が自立したタブローであり、紙にポスターカラーで描かれ、当時のアニメーションに類を見ない建築透視図法と色彩パレットの熟達を備えている。

ネオ東京を創造するために用いられた59点のオリジナル背景、レイアウト、コンセプトデザイン、イメージボード。『AKIRA』の制作に関わった作家たちのスタジオ・アーカイブへの独占的なアクセスにより、日本国外で一度も展示されたことのない作品の展示が可能となった。

― チョバン財団 / ChannelDraw、ベルリン展2022年

『AKIRA』と小林学派についてさらに掘り下げるには、当サイトの『AKIRA』(1988年)に関する完全な記事を参照されたい。

大友のネオ東京は、その背景の一つひとつにスタジオ風雅の刻印を帯びている。世界のアニメーションにおいてもっとも不可視で、もっとも決定的な伝達のひとつである。

— IV —

『魔女の宅急便』(1989年) ― ジブリとの出会い

『AKIRA』がまだ制作中のさなか、スタジオジブリは大野広司に『魔女の宅急便』(宮崎、1989年)の美術監督を打診する。大野は引き受け、『AKIRA』の制作を途中で離れる。キキ』の背景はスタジオ風雅がその指揮下で制作する ― スタジオにとって初の大型ジブリ企画である。

この協働はスタジオ風雅とジブリの宇宙との間に持続的な関係を切り拓く。スタジオはその後、ジブリあるいはその監督たちに関連する複数の作品(『マクロスプラス』、『カードキャプターさくら』、『ももへの手紙』)に貢献することになる。『キキ』の背景の質 ― その地中海的な光、精密な架空の欧州建築、暖かいパレット ― は、スタジオの視覚的歴史における参照点であり続けている。


— V —

歴代の代表 ― 稀有な継続性

1983 — 1997
水谷利春
創設者、初代代表。1997年にムーンフラワー設立のため退任。
1997 — 1997
小倉宏昌
押井とともに自身の道へ進む前の、短い過渡期の代表。2007年にアトリエ小倉を設立。
1997 — 現在
大野広司
現在の代表取締役。1997年以降、スタジオの恒常性と継続性を体現する。彼の指揮下で『ももへの手紙』、『おおかみこどもの雨と雪』、『百日紅』。

この三段階の継承 ― 建設者の水谷、創造者の小倉、守護者の大野 ― は、スタジオ風雅が解散も合併もなく四十年以上存続することを可能にした不可視の構造である。三人の創設者はそれぞれ自身のキャリアを発展させたが、スタジオはあらゆる離脱を生き延びた。1997年以降に大野がもたらした安定のおかげである。


— VI —

大野時代 ― 作家映画(1997-2026年)

1997年以降、大野広司率いるスタジオ風雅は、複数の作家性あるアニメーション監督の特権的なパートナーとなる。三本の映画がとりわけこの時代を象徴している。

『ももへの手紙』(沖浦啓之、2011年)

十一年にわたって制作された映画である『ももへの手紙』は、日本のアニメーターたちの一世代全体の作品である。大野広司がここで美術監督に署名する ― 瀬戸内海の島々、その漁村、寺院、入江は、その十年間でもっとも美しいアニメ背景の一例を成す記録的精度と大気的な美しさをもって描かれている。大野の画集(『大野広司 背景画集』、廣済堂、2013年)はこの映画の背景に数ページを割いている。

『おおかみこどもの雨と雪』(細田守、2012年)

細田は大野に『おおかみこどもの雨と雪』の美術監督を委ねる ― 根本的に異なる二つの視覚世界を要する映画である。密で制約された都市と、開かれて明るい山の森。スタジオ風雅は、意図的な対立にもかかわらず維持された様式的一貫性をもって二つのパレットを制作する。映画は世界的な批評的・商業的成功を収める。

『百日紅 ~Miss HOKUSAI~』(原恵一、2015年) ― アヌシー審査員賞

頂点。『百日紅 ~Miss HOKUSAI~』(監督・原恵一、プロダクション I.G、2015年)は第39回アヌシー国際アニメーション映画祭・審査員賞を受賞する ― 世界でもっとも重要なアニメーション映画祭の最高の栄誉である。大野広司の背景 ― 1814年の江戸の再現、商店街、職人のアトリエ、季節ごとに異なる光のもとの隅田川のほとり ― は、例外的な精度と美しさの再現として満場一致で称賛される。

大野広司(『ももへの手紙』『おおかみこどもの雨と雪』)が美術監督を務める。

― Anime News Network、『百日紅』告知、2014年4月

所在地遷移 ― 東京西部に根ざしたスタジオ

スタジオ風雅は1983年以降に三度移転しているが、一度も東京西部を離れていない。中野(1983年) → 杉並(2016年) → 阿佐ヶ谷南(2024年)。阿佐ヶ谷は杉並区の一地区である ― つまりスタジオは、小林プロダクションが1968年に居を構えた日本アニメーション集積地の原点の区に戻ってきたのである。意図せざる、しかし象徴的に一貫した原点回帰だ。


— VII —

選別フィルモグラフィー

作品役職美術監督
1983年3月3日スタジオ風雅設立水谷、小倉、大野、大野由美子
1987王立宇宙軍 オネアミスの翼美術監督 ★小倉
1988AKIRA美術監督 ★★ ― 背景スタジオ風雅水谷
1989魔女の宅急便美術監督 ★ ― 背景スタジオ風雅大野
1989機動警察パトレイバー the Movie美術監督小倉
1993機動警察パトレイバー 2 the Movie美術監督小倉
1994マクロスプラス(OVA)背景
1995攻殻機動隊美術監督 ★★小倉
1995カードキャプターさくら(TV)背景
1997水谷 → ムーンフラワー ・ 小倉 → 独立大野が代表に
1999人狼 JIN-ROH美術監督小倉
2000フリクリ美術監督小倉
2001ラストエグザイル背景
2006時をかける少女美術監督小倉
2007アトリエ小倉設立 ― 小倉が風雅を離れる小倉退社
2009サマーウォーズ(細田)背景小倉/風雅
2011ももへの手紙(沖浦)美術監督 ★大野
2012おおかみこどもの雨と雪(細田)美術監督 ★大野
2015百日紅 ~Miss HOKUSAI~ ― アヌシー審査員賞美術監督 ★★大野
2017メアリと魔女の花(スタジオポノック)背景協力
2021ルパン三世 PART6美術監督小倉
2022ルックバック背景
2024阿佐ヶ谷南へ移転大野が代表
2026スタジオ風雅、今なお活動中活動42年大野
SAKUGAART ・ スタジオ評伝 スタジオ風雅 ・ スタジオ風雅 ・ 1983年3月3日設立
Share

Leave a comment

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

Related Articles
株式会社MAPPA-sakugaart
Studios

株式会社MAPPA

MAPPA — ダーク少...

Studio-Ghibli-スタジオジブリ-sakugaart
Studios

スタジオジブリ

スタジオジブリ — アニ...

producion-ig-プロダクション・アイジー-sakugaart
Studios

プロダクションI.G

プロダクション I.G ...