姫野 美智 · ひめの みち · 1956年8月16日生
『ユリシーズ31』で荒木伸吾の直接のアシスタントを務めた姫野美智は、テミス・ペネロープ・ノールマイオス・ネストル・エウリュクレイアーを手で描いた。1980年の日仏共同制作において、世代を超えて欧州の視聴者に親しまれたあの宇宙叙事詩の視覚的世界を構成する脇役たちの顔を生み出した人物だ。マロン・エルアスティへのこのインタビューは、その制作の裏側に関する数少ない直接の証言のひとつだ。
どのような経緯で『ユリシーズ31』に参加することになったのですか?
『ベルサイユのばら』の制作に続いて、東京ムービー新社は日仏共同制作シリーズのキャラクターデザインを担うよう依頼を受けた。長い間中断していた『ユリシーズ31』の制作が再開されたのは1980年のことだった。姫野はこの時、キャラクターデザイン統括兼アニメーション監督——荒木伸吾——のアシスタントとして参加した。
外国のスタジオとの初めての共同制作は、どのように進めていたのですか?
出発点が難しかったことは隠さない。すべてをゼロから構築しなければならなかった。幸い、体制はすぐに整った。フランス側のチームが注釈のついた図を送ってきて、日本のアニメーターたちが自分たちのスタイルでキャラクターを描き直す際の指針となった。
あなたと荒木さんの間で、キャラクターの担当はどのように分けていたのですか?
役割分担は明確だった。荒木伸吾がユリシーズとテレマコスという二人の中心的なキャラクターを担当した。姫野はサブキャラクターを担当した——テミス、ノールマイオス、ペネロープ、ネストル、エウリュクレイアだ。ノーノーについては特別なケースで、そのデザインはパイロット版のために大塚康生が考案したバージョンをそのまま引き継いでいる。
シリーズを見ると、デザイナーが二人いるとは思えないほど統一されたスタイルに見えます。その秘密は何ですか?
彼女の答えは率直だ——秘密などというものは本当にない。学生時代から荒木伸吾の大ファンで、バビル2世を通じてアニメーションの世界へ引き込まれた彼女は、彼の造形的な文法を一緒に仕事をする前からすでに自分のものにしていた。制作の中で、二人はさらに互いに影響し合い、それぞれの貢献の境界は次第に曖昧になっていった。
課題は二重だった。フランス側の意図を取り込みながら、テレビアニメーションの制約に合わせてデザインを簡略化すること。そして作品のフランス的な文化的起源を損なうことなく、日本的な造形感覚をそこに接続すること。この賭けは成功した。数十年後の今見ても心地よい——そしてこの成功した混成こそが作品のアイデンティティを形成している。
フランスの監督ベルナール・デュリエスとは会ったことがあるのですか?
残念ながら、なかった。デュリエスは常に飛び回っていた。実際に彼との接点として残っているのは、いくつかの図のコピーとその指示が届いたことだけだ。この時代の国際共同制作の物流上の制約を象徴するような、遠距離での協力関係だった。
フランスのスタジオとの初めての経験から、どのような思い出を持っていますか?
とても良い思い出だ——しかもそれが最後ではなかった。『ユリシーズ31』の経験は、TMSとフランスのスタジオとの長い共同制作の歴史の始まりとなった。ルパン8世、名探偵ガジェット、猫の街(レ・アントルシャ)、ブロンディーヌ・オ・ペイ・ドゥ・ラルク=アン=シエルと続いていく。これらの年月から持ち帰ったものは?フランスの人たちの色彩の扱いの巧みさと、デザインに対する確かな感覚だ。日本のノウハウと競合するものではなく、むしろ補完するものとして感じている。
年齢的にアニメーション監督の仕事に戻ることは難しいかもしれないと彼女は言う。しかしいつか再び一緒に仕事ができる喜びをずっと願っている——せめてキャラクターデザインという形でも。言葉を聞いてくれる人に届けば幸いだ。
姫野美智の発言は厳密な言い換えで再構成されており、原著のインタビューからの原文再現は一切含まない。いかなる価格・市場情報も含まない。SAKUGAART、日本のアニメーションに特化した編集サイト。
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