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人物特集 · 美術監督 · 手描き背景 · 1979年 → 現在
石垣努
背景を描き続ける人
代々木アート・プランニング 石垣プロダクション 代表 · 小林プロダクション出身 · 阿佐ヶ谷 · 秋田 · Tsutomu Ishigaki
『ルパン三世』『犬夜叉』『アンパンマン』、そして劇場版『名探偵コナン』のクレジットに、その名は繰り返し現れる。それでもフランスで彼を知る人はほとんどいない。小林七郎のアトリエで育った石垣努は、四十年をかけて手描き背景の大きなスタジオの一つを築き上げ、さらにその技を故郷・秋田へと持ち帰った。
小林七郎の門下生
石垣努は日本の北、山と田んぼと雪の冬で知られる秋田県の出身である。秋田市と秋田県の公的資料は彼を秋田県出身と紹介し、日本語版ウィキペディアは県南部の湯沢市と記している。生年月日や修業の詳細は、我々の知る限り、どこにも公開されていない。
確かなのは、彼の学び舎である。1968年に小林七郎が設立した背景美術の工房、小林プロダクション。『家なき子』や『ガンバの冒険』の空を描いた画家のアトリエだ。日本語版ウィキペディアの小林七郎の項は、男鹿和雄、小倉宏昌と並べて彼を門下生に挙げている。のちに『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊』の美術監督となる小倉自身も、業界を代表する存在となった小林プロ出身者の一人として、石垣の名を自然に挙げている。
小倉宏昌、男鹿和雄、石垣努 — みな小林プロダクションを経てきた。1977年に入社したアトリエを振り返り、小倉はそう語っている。
— 小倉宏昌インタビュー、Karageko による英訳(2019年)を要約 · karageko.com
記録に残る最初のクレジットは華々しい。宮崎駿の初監督長編『ルパン三世 カリオストロの城』(1979年)の背景である。美術監督は小林七郎。石垣は師のもとで背景を描くチームの一員だった。クレジット上の役職は美術監督ではなく、あくまで「背景」である。
1981年 — 阿佐ヶ谷のアトリエ
独立は早かった。1980年、東京ムービー新社制作の『太陽の使者 鉄人28号』で美術監督と美術設定を担当し、1981年には『六神合体ゴッドマーズ』の美術監督を務める。そして1981年4月17日、自らの会社「代々木アート・プランニング有限会社石垣プロダクション」を設立した。クレジットでは「Y.A.P.」の略称で表記される。
本社は東京西部、杉並区の阿佐ヶ谷に置かれた。1970年代以降、日本のアニメ制作会社の多くが集まる地域である。経営モデルは小林のそれを受け継いでいる。手描き背景を専門とする下請けスタジオとして、他社が制作するシリーズや映画の背景を提供するのだ。スタジオの公式サイトは今も、業界全体のデジタル化に抗うように、手描きを中心的な価値として掲げている。
東京ムービー新社、現在のトムス・エンタテインメントとの関係が、スタジオの背骨となった。日本語版ウィキペディアによれば、石垣プロダクションは主にトムスの作品を手がけている。このつながりは、彼の仕事歴のあまり知られていない一面を説明する。アニメニュースネットワークは、1980年代に日本のスタジオと共同制作されたアメリカのアニメ『リトルズ』(The Littles)や『ギャラクシー・ハイスクール』(Galaxy High School)で、彼を背景デザイナーとしてクレジットしている。
東京ムービーとの黄金時代
1980年代から1990年代にかけて、石垣は第一線の美術監督となる。1984年には怪盗紳士の第3シリーズ『ルパン三世 PARTIII』の美術監督を務め、続いて劇場版『ルパン三世 バビロンの黄金伝説』(1985年)に参加した。『機動警察パトレイバー』(1988年)の1話を手がけ、劇場版『銀河英雄伝説 黄金の翼』(1992年)、そしてCLAMP原作でトムスが制作した『魔法騎士レイアース』(1994年)の美術監督を務めている。
90年代末には、より陰影の濃い、あるいは個性的な作品が並ぶ。美術監督と美術設定を兼ねた『EAT-MAN』(1997年)、消防士を描いた『め組の大吾』。2000年代初頭には、劇場版『犬夜叉』の最初の4作(2001〜2004年)で美術監督を務めた。森や寺、霞に包まれた戦国時代の雄大な風景は、小林の教えを真っ直ぐに受け継いでいる。細部より先に、空気を描くことである。
コナン、アンパンマン、あの花 — 監修と継承
2000年代に入ると、石垣の役割は変わっていく。一つひとつのカットを指揮するよりも、チームを束ねる立場になったのである。その名は次第に「美術監修」として、自社で育てた美術監督の上にクレジットされるようになった。2008年から2014年にかけて美術監督と美術監修を行き来した劇場版『アンパンマン』、そして何より、2013年以降石垣プロダクションが毎年背景を手がけている劇場版『名探偵コナン』がその例である。
スタジオはそこから大きな注目を集めた。2024年には自社ブログで、27作目の劇場版『名探偵コナン 100万ドルの五稜星』の公開を祝っている。同作の美術監修には、佐藤勝と並んで石垣努の名がある。その間に彼はTVシリーズ『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』(2011年)の美術アドバイザーを務め、2013年の劇場版にも参加した。トムスの二大看板が出会う『ルパン三世VS名探偵コナン』にも関わっている。
筆から監修への移行は、継承について何かを物語っている。かつての小林と同じく、石垣も一世代の画家たちを育てた。日本語版ウィキペディアは、同社の美術監督として小山田有希、光元博行らの名を挙げている。
秋田へ — GAKIpro A studio
2019年9月、石垣は秋田市に関連会社GAKIpro A studioを設立し、2020年4月に従業員9名で開業した。秋田県のポータルサイトによれば、県内初のアニメーション美術・背景制作会社である。秋田市が公表した進出企業概要は、その動機を伝えている。故郷の発展に貢献すること、若者に手描き背景の技術を伝えること、東京以外でもアニメの仕事ができることを示すこと、そして秋田公立美術大学の卒業生の受け皿となることである。
「秋田に居ながら世界中の人々の心を豊かにする為の仕事をする!これが弊社の理念です。」GAKIpro A studio の企業理念。
— 秋田県 企業紹介ポータル、GAKIpro A studio · digital.pref.akita.lg.jp
この挑戦は風景とも結びついている。スタジオは、秋田の海、山、川、雪を手本にすると語る。そこには、小林が教えた観察への厳しさが、一つの地域に向けて生かされているのが見て取れる。秋田のスタジオはすでに『不滅のあなたへ』『夏目友人帳』『トニカクカワイイ』『名探偵コナン』の背景に参加している。スタッフの平均年齢は30歳未満。2024年7月時点で石垣プロダクションは35名を擁し、そのうち12名が秋田で働いている。2025年3月には、秋田市の招きで、地元の学生に向けたオンライン講演会も行った。
主な作品と未解決の論点
| 年 | 作品名 | 役職 | 制作 |
|---|---|---|---|
| 1979 | ルパン三世 カリオストロの城 | 背景 | 東京ムービー新社 |
| 1980 | 太陽の使者 鉄人28号 | 美術監督 | 東京ムービー新社 |
| 1981 | 六神合体ゴッドマーズ | 美術監督 | 東京ムービー新社 |
| 1984 | ルパン三世 PARTIII | 美術監督 | 東京ムービー新社 |
| 1985 | ルパン三世 バビロンの黄金伝説 | 美術 | 東京ムービー新社 |
| 1992 | 銀河英雄伝説 黄金の翼 | 美術監督 | — |
| 1994 | 魔法騎士レイアース | 美術監督 | トムス |
| 1997 | EAT-MAN | 美術監督 | — |
| 2001–2004 | 劇場版 犬夜叉 1〜4作 | 美術監督 | サンライズ |
| 2008–2014 | 劇場版 アンパンマン | 美術監督 · 美術監修 | トムス |
| 2011 · 2013 | あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。 TV・劇場版 | 美術アドバイザー | A-1 Pictures |
| 2013 → | 劇場版 名探偵コナン | 美術監修 | トムス |
最後の点こそ、最も印象的かもしれない。日本アニメで最も多作な背景画家の一人であり、小林の直弟子でもある人物が、自らの歩みを公に語ったことはほとんどないのだ。小林のアトリエ、『カリオストロの城』、阿佐ヶ谷での創業期の記憶は、まだ記録されていない歴史の一頁である。
SAKUGAARTは、まさにこうした歩みを記録したいと考えている。石垣プロダクションや小林プロダクションで、あるいはその傍らで働いた方。これらのアトリエにまつわる資料や思い出をお持ちの方。ご希望に応じて秘密を厳守したうえで、編集部はお話をうかがえれば幸いである。