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特集 · TVシリーズと劇場版 · 美術監督、作画、吹き替え · 1982年 → 1985年
スペースコブラ
SPACE ADVENTURE コブラ
日本での題名:『スペースコブラ』(TVシリーズ)· 『SPACE ADVENTURE コブラ』(劇場版)· 制作会社:東京ムービー新社(Tokyo Movie Shinsha)· 原作者:寺沢武一(Buichi Terasawa)
フランスで『コブラ』といえば、一つの声、一つの主題歌、そして火を噴く腕である。だが日本では、それはめったに語られない職人たちの連なりでもある。小林七郎のアトリエ出身の美術監督、第20話で後を継ぐもう一人の美術監督、出崎統と杉野昭夫のもとに集った作画陣、そして1985年にはフランスの吹き替えスタジオ。本稿は1982年の制作現場をさかのぼり、この宇宙海賊をフランスの画面まで追いかける。
ジャンプから画面へ
コブラは紙の上に生まれた。寺沢武一の漫画は、『週刊少年ジャンプ』に1978年45号から1984年48号まで、不定期の連載として掲載された。これは日本語版ウィキペディアの記述で、英語版ウィキペディアは1978年11月6日と1984年11月12日という日付を挙げている。単行本はジャンプ・コミックスで全18巻が刊行された。世界累計発行部数は、日本語版ウィキペディアによれば2018年4月に5000万部を突破しており、この桁数はフランスのブログ Génération Souvenirs も踏襲している。

寺沢は1955年、北海道の旭川に生まれた。1976年に上京し、手塚治虫の周辺で仕事をするようになったと、アニメニュースネットワーク(ANN)、日本語版・英語版ウィキペディア、オリコンが伝えている。2023年9月8日、68歳で死去。オリコンとGAME Watchが同じ日付を挙げ、英語版ウィキペディアもこれを裏づけている。
主人公は宇宙海賊で、左腕には「サイコガン」と呼ばれる武器が仕込まれている。その顔立ちはジャン=ポール・ベルモンド(Jean-Paul Belmondo)に多くを負っている。サイト Cases critiques によれば、作者は『À bout de souffle』と『L'Homme de Rio』でこの俳優が見せた気負いのない飄々とした佇まいに惹かれていた。『The Encyclopedia of Science Fiction』も同じ類似を指摘し、フランス語版ウィキペディアのミラーサイトは容姿上の着想だとしている。この点は本稿の後半で意味を持つ。日本人の登場人物がフランスでこれほど親しみやすい土壌を見いだした理由の一端を、それが説明してくれるからである。
1982年、東京ムービー新社はこの漫画から二つの映像化を行った。劇場版『SPACE ADVENTURE コブラ』は1982年7月3日に日本で公開された。TMS、映画.com、MOVIE WALKERがそう記している。TVシリーズは全31話で、フジテレビにて1982年10月7日から1983年5月19日まで、木曜の夜に放送された。TMS、allcinema、Weblio、日本語版ウィキペディアの記述が一致する。第1話の題は「復活!サイコガン」。冒険の夢を売る会社の客であるジョンソンという会社員が、少しずつ、自分が本来はその宇宙海賊であることに向き合っていく話で、TMSとNautiljonのあらすじによる。
企画は別の姿になっていたかもしれない。日本語版ウィキペディアによれば、TVシリーズは当初、イタリアの会社カム(Cam)との日伊合作として組まれていた。この合作は途中で取りやめとなって日本単独の制作に切り替わり、イタリアで1982年10月に予定されていた放送も、同じ時期の日本での放送に取って代わられた。当時の専門誌のアーカイブも、イタリア側の関与があったことを裏づけている。Animage Archive が書き起こした『Animedia』1982年6月号で、プロデューサーのイケウチ・タツオ(Tatsuo Ikeuchi)は、イタリアのCAMに委ねられたシリーズの音楽に触れ、パンチに欠けると評している。
東京ムービー、出崎、杉野 — 1982年のスタッフ
二つの映像化は同じスタジオ、東京ムービー新社が手がけ、同じコンビが担った。監督は出崎統、キャラクターデザインと作画監督は杉野昭夫である。劇場版については映画.comとMOVIE WALKERがこの二人をクレジットしている。TVシリーズについては、日本語版ウィキペディア、プラネット・ジュネス(Planète Jeunesse)、Nautiljonが、出崎をチーフディレクター、杉野を作画監督としている。
出崎(1943〜2011年)は1963年に虫プロダクションに入り、1970年に『あしたのジョー』を監督し、丸山正雄とともにマッドハウスを共同で設立した。アニメニュースネットワークと英語版ウィキペディアの記述は一致している。アニメニュースネットワークはその作風を、劇的な止め絵、分割画面、山場の場面での光の効果と要約し、英語版ウィキペディアは「絵葉書のような記憶」、すなわち出発点のアニメーションよりも細密に描かれた絵へと溶け込んでいくフェードについて述べている。

杉野は1944年に札幌で生まれ、1970年から出崎と仕事をともにしている。SAKUGAARTのサイトと、出崎を取り上げた練馬区のアニメーションサイトの特集は、いずれも二人を「黄金コンビ」と呼ぶ。その道具となったのがスタジオあんなぷるである。杉野は、Karageko 掲載のインタビューでその設立を「1980年ごろ」としており、アニメニュースネットワークは1980年10月と記録している。日本語版ウィキペディアは、劇場版の作画は「作画はあんなぷる主体」だったと明記し、アニメニュースネットワークの同社の項も、この劇場版を同社の仕事の一つに挙げている。
TVシリーズについては、日本語版ウィキペディア、TMS、プラネット・ジュネスが記録するクレジットの要点は一致している。企画は片山哲生と久保田栄一で、久保田はフジテレビに所属する。出崎はチーフディレクターの任を、もう一人の竹内啓雄と分け合った。杉野の補佐として、作画監督に大塚伸治が付く。撮影監督は高橋宏固で、セルを背景の前で撮影する工程を、劇場版でもTVシリーズでも統括した。脚本は山崎晴哉、ミキ・コウスケ(Kōsuke Miki)、寺田憲史の三人で、プラネット・ジュネス、英語版ウィキペディアの話数リスト、『The Encyclopedia of Science Fiction』がこの三名を挙げている。劇伴は羽田健太郎が手がけ、主題歌は大野雄二が作曲、前野曜子が歌い、シリーズの冒頭と終わりに流れる。
| 作品 | 担当 | 名前 | 裏づけ資料 |
|---|---|---|---|
| 劇場版 · 1982年 | 美術監督 | 小林七郎 | 映画.com、MOVIE WALKER、東宝、プラネット・ジュネス |
| 劇場版 · 1982年 | 美術監督補 | 男鹿和雄 | 日本語版ウィキペディア、ANN、プラネット・ジュネス |
| TV · 第1〜19話 | 美術監督 | 水谷利春 | TMS、ANN、プラネット・ジュネス、日本語版ウィキペディア |
| TV · 第20〜31話 | 美術監督 | 石垣努 | TMS、ANN(人物の項と企業の項)、プラネット・ジュネス |
| 劇場版 · TV | 作画監督 | 杉野昭夫 | 映画.com、MOVIE WALKER、日本語版ウィキペディア、Nautiljon |
| TV | 作画監督 | 大塚伸治 | 日本語版ウィキペディア、プラネット・ジュネス、Nautiljon、Mangapedia |
| 劇場版 · TV | 撮影 | 高橋宏固 | MOVIE WALKER、日本語版ウィキペディア、プラネット・ジュネス |
| 劇場版 · 1982年 | 音楽 | 東海林修 | 映画.com、MOVIE WALKER、プラネット・ジュネス |
| TV | 音楽 | 羽田健太郎 | TMS、日本語版ウィキペディア、Nautiljon、プラネット・ジュネス |
| TV | 企画 | 片山哲生、久保田栄一 | TMS、日本語版ウィキペディア、プラネット・ジュネス |
背景美術 — 小林から石垣へ
劇場版のクレジットでは、美術監督は小林七郎に託されている。映画.com、MOVIE WALKER、東宝のサイト、プラネット・ジュネス、日本語版ウィキペディアの記述が一致する。その傍らで、男鹿和雄が美術監督補として名を連ねる。日本語版ウィキペディアとアニメニュースネットワークがそう述べ、プラネット・ジュネスは「アシスタント」とクレジットしている。したがって1982年のこの作品で、男鹿は師の補佐役にあたる。
小林は1932年生まれ。まず小学校で美術を教え、1964年に東映動画に入り、1968年に小林プロダクションを設立した。アトリエは2011年2月に閉じ、創業者は2022年8月25日に没した。これらの事実は、日本語版ウィキペディア、Anitrendz、アニメニュースネットワークによる。日本語版ウィキペディアによれば、同じアトリエは男鹿和雄、小倉宏昌、石垣努、水谷利春らを育てた。Karageko のインタビューに答えた小倉宏昌も、男鹿、石垣、水谷を同門として挙げている。つまり『コブラ』にクレジットされた美術監督は、劇場版もTVシリーズも、みな同じ学び舎の出身である。

出崎のもとで、背景を描く画家は単なる実行者ではない。練馬区のアニメーションサイトは、杉野と小林がこの監督の代表作で幾度も協働したと記す。アニメニュースネットワークは、小林がテレビアニメのための実験的な画面技法で出崎と組んだと書き、2022年のニューヨークでの展覧会の報告記事は、出崎と杉野を小林の主要なパートナーとして挙げている。同じ練馬区のサイトの記事は、出崎を象徴する手法の一つ、「ハーモニー」を次のように定義している。
「セルには線画だけで色を塗らず、背景美術のほうでキャラクターなどの線画の中の部分も描き込み、線画のセルを重ねて撮影することでセル用のベタ塗りではない、大胆かつ繊細なタッチをつけることができ、1枚の画として迫力ある画面を作ることができる。」
— 「ハーモニー」の定義、練馬区のアニメーションサイト、氷川竜介・原口正宏とつくる出崎統特集、2017年3月17日 · animation-nerima.jp
参照した資料のどれにも、この手法が『コブラ』で用いられたとは書かれていない。それが照らし出すのは、むしろ一つの原則である。出崎のもとでは、描かれた背景の質が最終的な画面の質を左右する。劇場版の美術監督に小林のアトリエに連なる人物が選ばれたのも、日程上の偶然とは言えない。

TVシリーズについては、バトンの受け渡しが正確に記録されている。TMS、アニメニュースネットワーク(水谷と石垣の各項)、プラネット・ジュネス、日本語版ウィキペディアは、美術監督を第1話から第19話まで水谷利春、第20話から第31話まで石垣努としている。水谷は、アニメニュースネットワークと日本語版ウィキペディアによれば1953年1月14日生まれで、のちに Studio Fūga を経ることになる。このスタジオを彼の名と結びつけているのは Karageko と日本語版ウィキペディアである。一方の石垣は、すでに自分の会社を率いている。Y.A.P. 石垣プロダクションは、公式サイトとアニメニュースネットワークによれば、1981年4月17日の設立である。アニメニュースネットワークの同社の項は、第20〜31話の背景を同社が提供したと記しており、したがってこのクレジットは個人のものにとどまらず、一つのアトリエのものである。
SAKUGAARTは、小林のもとで修業し、阿佐ヶ谷に手描き背景のスタジオを、のちに秋田に関連会社を設立した石垣努の人物特集を掲載した。この特集は『コブラ』に触れていなかった。本稿はその見落としを埋めるものである。したがって、最後の12話の間、シリーズの背景を提供したのは石垣のチームである。
『コブラ』を作る — 作画、音、声
劇場版は、制作過程が最もよく記録された現場である。この作品は二つの技術的な新機軸をうたっている。一つは特殊な視覚効果で、「立体3-D方式」という呼称で示され、日本語版ウィキペディア、東宝のサイト、映画.com、ナタリーに記載がある。もう一つは音響で、日本語版ウィキペディアとWeblioによれば、4チャンネルのドルビーサラウンド方式で劇場公開された日本初のアニメーション映画だったという。映画.comと東宝は、国産アニメにおけるドルビー方式の初使用と述べている。参照したページからは、「3-D」が具体的に何を指すのかは分からない。
画面作りは複数のスタジオに分担された。日本語版ウィキペディアは、劇場版の作画は主にあんなぷるが担い、テレコムが一部のシーンを受け持ったと書いている。テレコムのアニメーターのうち、当時同スタジオに所属していた宮崎駿が、コブラがエアカーで逃走する場面の原画の一部を描いたとされる。日本語版ウィキペディアがそう断言し、共同編集の作品データベース作画@wikiも、宮崎がこの映画で原画を担当したことを記載している。クレジットはテレコム・アニメーションフィルムの社名名義である。
キャラクターの絵は、作者の厳しい承認を通らなければならなかった。日本語版ウィキペディアは、寺沢が制作に深く関与し、キャラクターデザインに何度も異議を唱えたと指摘している。杉野も、Karageko に掲載されたインタビューでそれを裏づけている。
寺沢は自分のキャラクターに非常に厳しかった。スタッフがデザインを持っていくと、主人公たちの描かれ方が悪いとして却下した。杉野は、自分自身は承認の会議に出席しなかったが、そこでは監督がひっきりなしに叱責されていたと付け加える。作者がついにあんなぷるのチームを信頼するようになったのかと問われると、笑いながら、そうではなかったと答えている。
— 杉野昭夫、Karageko による英訳インタビュー(2019年)、発言を要約・言い換えたもの · karageko.com
声と音楽については、劇場版の選択は風変わりである。コブラの声を当てるのは歌手の松崎しげるで、オープニング主題歌も歌い、レディは榊原良子が演じる(映画.com、英語版ウィキペディア、プラネット・ジュネス)。劇場版の音楽は東海林修。一方TVシリーズは、コブラ役に野沢那智、音楽に羽田健太郎を起用し、主題歌は大野雄二の作曲、前野曜子の歌である(TMS、Nautiljon、日本語版ウィキペディア)。プラネット・ジュネスは、劇場版に「ヨーロッパ版」があり、その音楽はグループ Yello によるものだと記しており、近年のブルーレイ盤「Yello Edition」の商品情報がこれを裏づけている。
そして最後に、TVシリーズは劇場版を受け継いでいる。両者は出崎、杉野、撮影監督の高橋を共有し、隔たりはわずか3か月である。劇場版は1982年7月3日に公開され、TVシリーズは10月7日に始まった。ここにあるのは、季節の論理というよりアトリエの論理である。
フランスの『コブラ』 — 1985年、声と主題歌
シリーズがフランスに到来したのは1985年2月20日、カナル・プリュスの子ども向け枠『カブー・カダン』でのことである。この日付は、プラネット・ジュネス、フランス語版ウィキペディアのミラーサイト、Génériques Télé、HDnumérique に見られる。Superloustic と Manga-news は、カナル・プリュスが最初の局で、アンテーヌ2(Antenne 2)より先だったと裏づけている。アンテーヌ2では次の新学期に『レクレA2』(Récré A2)の枠で放送された。Génériques Télé とフランス語版ウィキペディアのミラーサイトは1985年9月9日とするが、Superloustic は9月18日とみている。
吹き替えはフランシス・ラックス(Francis Lax)の演出のもとで行われた。プラネット・ジュネス(作品の項と、この人物を扱った項の両方)とアニメガイズ(Animeguides)がそう記している。コブラの声は J.-C. Montalban で、この名はプラネット・ジュネス、フランス語版ウィキペディアのミラーサイト、フォーラム Doublage francophone、Bruce Tringale が挙げている。ダニエル・ヴォル(Danielle Volle)が相棒ロボットのアルマノイド(Armanoïde)を、カトリーヌ・ラフォン(Catherine Lafond)がジェーン(Jane)を演じ、プラネット・ジュネスとフランス語版ウィキペディアのミラーサイトの記述は一致している。J.-C. Montalban は2010年のシリーズでもこの役を再び務めることになる。Génériques Télé と、プラネット・ジュネスの『COBRA THE ANIMATION』の項がそう述べている。
フランス版の主題歌を歌っているのはオリヴィエ・コンスタンタン(Olivier Constantin)で、プラネット・ジュネス、フランス語版ウィキペディアのミラーサイト、FulguroPop、Superloustic、Génération Souvenirs がこれを裏づけている。作詞はアントワーヌ・ド・コーヌ(Antoine de Caunes)がポール・ペルサヴォン(Paul Persavon)の筆名で担当しており、フランス語版ウィキペディアのミラーサイトと Superloustic がそう述べ、FulguroPop もド・コーヌの作詞としている。作曲はジャック・ルヴォー(Jacques Revaux)とジャン=ピエール・ブルテール(Jean-Pierre Bourtayre)で、フランス語版ウィキペディアのミラーサイトと Superloustic のポッドキャストによる。したがって、これは大野雄二による日本の主題歌とは別の曲であり、FulguroPop が強調するとおり、フランスの視聴者は日本のものとは違う旋律で『コブラ』に出会ったのである。
受容については、三つの資料が同じ方向を向いている。プラネット・ジュネスは、日本での当初の評価が割れていたにもかかわらず、「フランスでの大成功」を語る。『The Encyclopedia of Science Fiction』はカルト的な地位に言及し、漫画を扱う英語版ウィキペディアは、1980年代のフランスでの並外れた成功を述べている。ブログ Génération Souvenirs は作品をフランスにおけるマンガの「第一波」に結びつけ、Bruce Tringale は、『レクレA2』を見逃すまいと学校から急いで帰る子どもたちの思い出に結びつけている。
劇場版がフランスに届くのは、ずっと後になる。プラネット・ジュネスによれば、1996年1月にマンガ・ヴィデオ(Manga Vidéo)からVHSが、2001年12月にDVDが出ている。J.-C. Montalban はここでもコブラの声を再び務めており、プラネット・ジュネスは劇場版の項でそう記し、『COBRA THE ANIMATION』の項は「劇場版から15年後」と述べる。プラネット・ジュネスは二つの音楽、すなわち日本版の東海林修のものと、ヨーロッパ版のグループ Yello のものに言及しているが、フランス版にどちらが付いているかは述べていない。
ソフトと遺産 — VHSから4Kへ
映像ソフトとしては、シリーズは複数のフランスの発売元を経ている。NautiljonはVHSについてAKヴィデオ(AK Vidéo)とルネ・シャトー・ヴィデオ(René Château Vidéo)を、続くディスクについてデクリック・イマージュ(Déclic Images)、カゼ(Kazé)、@Anime を挙げる。プラネット・ジュネスは、デクリック・イマージュのDVDを2001年、@Animeのブルーレイを2015年1月28日と記しており、この二つの盤については Nautiljon が発売元名を挙げて裏づけている。これらの盤のライセンスは、Nautiljon によれば現在は失効しているが、一方で配信サービスのADNに作品が置かれていることも示されている。
漫画もフランスで幾つもの生を生きてきた。Manga-news、Cases critiques、BDfugue は、三つの出版社を順に挙げている。1998年からのダイナミック・ヴィジョン(Dynamic Vision)、次いでタイフ・コミックス(Taïfu Comics)、そして2015年から全12巻の豪華版を刊行しているブラック・ボックス(Black Box)である。Manga-news は、ダイナミック・ヴィジョン版が全20巻だったと補足している。
アニメとしての遺産は、もっと後にやって来る。2008〜2009年の2本のOVAに続き、全13話の『COBRA THE ANIMATION』が2010年1月にBS11で放送され、清水恵蔵の監督、スタジオ Magic Bus の制作でシリーズを引き継いだ。フランス語版ウィキペディアのミラーサイト、漫画を扱う英語版ウィキペディア、Génériques Télé がこれを伝えている。カゼはこのとき、同作をフランスでシミュルキャスト配信した。Manga-news と Génériques Télé による。
最後に、劇場版は公開40周年を機にスクリーンへ戻ってくる。東宝とセガは、2022年12月2日から15日までの4K上映を発表した。人の側から見れば、この仕事の記憶は、訃報によっても刻まれる。出崎は2011年4月(アニメニュースネットワーク、英語版ウィキペディア)、小林は2022年8月、寺沢は2023年9月に世を去り、メカニックデザイナーの村上克司も、Go Nagai World と Ani-Box によれば2026年夏、83歳で亡くなった。
未解明の点
影の仕事をたどる特集には、どうしても影に残る部分がある。以下は、参照した日本語資料からもフランス語資料からも確定できない、あるいは半分しか確定できない事柄である。
制作現場
色彩設計と仕上(セルの彩色の工程)は、TMSの作品ページにも、プラネット・ジュネスのクレジットにも、日本語版ウィキペディアの抜粋にも記載がない。劇場版でもTVシリーズでも、これらの担当者は特定されないままである。TVシリーズの美術監督がなぜ第20話で交代するのか、二つの時期の背景が画面上で違って見えるのかどうかも、分かっていない。話数ごとの原画マンの正確な割り振りは、ファンのブログだけを拠り所としている。メカニックデザインにおける「クレジット表記なし」という注記の射程、劇場版における「3-D」の意味、宮崎駿の具体的な貢献、そして『コブラ』で「ハーモニー」が用いられた可能性は、今後の記録を待つ事柄である。
製作
イタリアのカムが果たした正確な役割、合作が断念された理由、TVシリーズの日本での視聴率、劇場版の公開時の興行成績は、読んだページでは数値で示されていない。第1話のセル枚数(7000枚)、コブラの声に関する寺沢の希望、登場人物についての出崎の発言は、それぞれ出典が一つしかない。
フランス
『レクレA2』の放送開始の正確な日付(1985年9月9日か18日か)、吹き替えスタジオ(SOFI)とその演出、アンテーヌ2での実際の放送期間、エピソードのカットや翻案の有無、フランスでの視聴率は、いずれも裏づけが取れていない。INAのアーカイブは本稿では利用できず、劇場版の二つの音楽、東海林修のものと Yello のもの、のどちらがフランス版に付いているのかも分からない。2010年に発表された実写化計画は実現しなかったように見えるが、それを明示する新しい資料は見つからなかった。
証言
水谷利春や石垣努が『コブラ』について語ったインタビューは一つも見つからず、この作品についてのアニメーターや背景画家の言葉もごくわずかである。制作現場について直接使える証言は、杉野昭夫のものだけである。
SAKUGAARTは、こうした歩みを記録したいと考えている。日本で『コブラ』に携わった方(背景、作画、仕上、撮影)、あるいはフランスで携わった方(吹き替え、翻案、放送)、また当時の資料(クレジット、工程表、セル、雑誌)をお持ちの方。ご希望に応じて秘密を厳守したうえで、編集部はお話をうかがえれば幸いである。