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インタビュー

鳥山 明 · 1955–2024 · 漫画家 · キャラクターデザイナー

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鳥山 明
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記事に誤りがございましたら、ぜひお知らせください。この作品に携わった方、当時の思い出や資料をお持ちの方からのご連絡もお待ちしております。

作家資料 · 1955–2024 · 漫画家 · キャラクターデザイナー

鳥山
明

Akira Toriyama · とりやま あきら · Dr.スランプ · ドラゴンボール · ドラゴンクエスト

愛知県の元広告デザイナーが、生まれ育った地方に根を下ろしたまま、世界の大衆文化でもっとも広く知られたキャラクターのいくつかを描いた。少女ロボットのアラレから少年の孫悟空まで、『ドラゴンクエスト』のモンスターから『クロノ・トリガー』の主人公たちまで、鳥山明は、日本、さらにヨーロッパと南北アメリカにおける漫画の位置づけを変える一翼を担った。本稿は、原稿を次々と没にされた修業時代から2024年の死、そしてその後も続く作品群までをたどる。

氏名鳥山 明(とりやま あきら)
生年1955年4月5日・愛知県西春日井郡清洲町(名古屋市とする資料もある)
没年2024年3月1日・同年3月8日に公表
デビュー「ワンダー・アイランド」・『週刊少年ジャンプ』1978年
担当編集鳥嶋和彦(集英社)
代表作『Dr.スランプ』(1980〜1984年)・『ドラゴンボール』(1984〜1995年)
ドラゴンボール全519話・単行本全42巻・全世界累計2億6000万部超(東映アニメーション、2023年)
ゲーム『ドラゴンクエスト』(1986年〜)・『クロノ・トリガー』(1995年)・『ブルードラゴン』(2006年)
仕事場バード・スタジオ(清須市)
受賞小学館漫画賞(1981年度)・アングレーム国際漫画祭40周年特別賞(2013年)・芸術文化勲章シュヴァリエ(2019年)
フランス1988年3月2日にTF1で放送開始・1993年2月からグレナ社が刊行
生前最後のシリーズ『ドラゴンボールDAIMA』(2024年)・原作、ストーリー、キャラクターデザイン

― 一 ―

清洲:退屈したデザイナー(1955〜1977年)

鳥山明は1955年4月5日、愛知県西春日井郡清洲町、現在の清須市に生まれた。ナタリー、『文藝春秋』、CNN日本版はこの地を出生地とし、マンガペディアは名古屋市生まれとしている。長男として、自動車の修理を営む父のもとで育ち、『文藝春秋』によれば、生涯変わらなかった車とバイクへの愛着はこの父譲りであった。幼いころから動物や乗り物を描き、ディズニーの『101匹わんちゃん』と手塚治虫の『鉄腕アトム』に衝撃を受けた。6歳ごろには、町内の写生大会で賞を取っている。

デザイン系の学科を持つ愛知県立起工業高等学校に進み、美術部を経て漫画研究会の会長を務めたが、同誌によれば自ら漫画を描くことはなかった。日本語版ウィキペディアによれば、1974年、広告デザイン会社・第一紙行の名古屋支店にデザイナーとして入社する。資料により2年から3年とされる勤務ののち、レタリングの仕事に飽き、遅刻を重ね、1977年1月に退職した。両親は、再就職までの猶予を2年と定めた。

編集部注 出生地は資料によって異なり、ナタリーをはじめ多くの資料は清洲町、マンガペディアは名古屋市とする。勤務先の社名は日本語版ウィキペディアのみが記している。勤務期間は「約2年」(nippon.com)、「約2年半」(日本語版ウィキペディア)、「約3年」(マンガペディア、『文藝春秋』)と幅がある。高校で在籍した学科の正式名は、日本語の資料で確認できなかった。

― 二 ―

鳥嶋和彦と500ページの没原稿

職を失った鳥山は、本人が語るとおり賞金を目当てに漫画賞への投稿を始める。最初に狙ったのは『週刊少年マガジン』の賞だったが締め切りに間に合わず、原稿は集英社へ送られた。1978年初め、「アワワワールド」が月例ヤングジャンプ賞に投稿されるが落選する。続いて規定外の『スター・ウォーズ』パロディ「謎のレインジャック」が、『週刊少年ジャンプ』の若手編集者、鳥嶋和彦の目に留まった。鳥嶋は講演で、心を引かれたのは原稿のきれいさだったと語っている。日本語版ウィキペディアによれば、鳥嶋は電報を送り、もっと描いて送るよう励ましたという。

こうして、伝説的な厳しさの修業が始まる。鳥山は事前に描くネームを知らず、いきなり下描きを描いていたうえ、週に1本の原稿を送ることを求められた。初めて掲載された作品「ワンダー・アイランド」は、日本語版ウィキペディアによれば『週刊少年ジャンプ』1978年52号に載った。読者アンケートの結果は最下位だった。

「票数が19票かな(笑)。」

― 鳥嶋和彦、ITmedia掲載のインタビュー(2019年3月26日)

約1年のあいだに、鳥嶋はおよそ500ページを没にした。その枚数を数えたのは、引っ越しの際の鳥山自身である。転機は1979年、女性を主人公にした「ギャル刑事トマト」で訪れた。その好評が以後の方向を決め、次の連載は少女を主人公とすることになる。そして鳥嶋自身も登場人物となる。『Dr.スランプ』に1982年に登場したマッドサイエンティスト、Dr.マシリトの名は「トリシマ」を逆さに読んだもので、その顔も鳥嶋そのものであった。

1年で500ページの没原稿。『ドラゴンボール』の作者は、まず容赦のない修業から生まれた。

― 三 ―

『Dr.スランプ』と清須の仕事場

連載は『週刊少年ジャンプ』1980年5・6合併号で始まった。鳥山は発明家の則巻千兵衛を主人公にするつもりだったが、鳥嶋はその発明品である怪力の少女ロボット、ペンギン村に暮らすアラレを主役に据えさせた。編集者の回想によれば、鳥山は連載開始から半年で早くも「やめたい」と言い出したという。それでも連載は1984年39号まで続き、全236話、単行本全18巻を数え、最終巻は1985年5月10日に刊行された。本作は昭和56年度(1981年度)の第27回小学館漫画賞少年少女部門を受賞している。

単行本の売れ行きは前例のないものだった。日本語版ウィキペディアによれば、第5巻の初版は当時の国内最高となる130万部に達し、累計は3000万部を超えるが、集英社による裏づけとなる数字は見つかっていない。テレビアニメ『Dr.スランプ アラレちゃん』は東映動画の制作でフジテレビ系にて1981年4月8日から1986年2月19日まで、水曜19時に全243話が放送された。ビデオリサーチの調査によれば、1981年に関東地区で最高視聴率36.9%を記録している。1982年に最初の劇場用長編が公開され、日本語版ウィキペディアによれば1997年から1999年にかけてリメイク版のテレビシリーズも放送された。

清須の仕事場

鳥山は東京に移り住まなかった。日本語版ウィキペディアによれば、『Dr.スランプ』の時期には愛知の自宅から原稿を航空便で送り、一度も締め切りを落とさなかったという。仕事場の名は、姓の一字「鳥」にちなむバード・スタジオである。遅くとも1981年には存在しており、この年に松山孝司が入っている。日本語版ウィキペディアによれば、松山は『Dr.スランプ』後半の2人目のアシスタントを経て、『ドラゴンボール』では唯一のアシスタントとなり、亀仙人の家やナメック星などの背景を手がけ、連載終了まで務めた。同じ資料によれば、鳥山は1982年5月2日、名古屋で少女漫画家のみかみなちと結婚し、二人の子どもをもうけている。

日本語版ウィキペディアが伝えるその技法は、簡潔で正確である。ゼブラのGペン、パイロットの製図用インク、そしてほぼすべてをパソコンで仕上げるPhotoshopによる彩色。鳥嶋は自らの基準を、原稿を待ったことがない、それは最初から原稿がうまい・速い・きれいな作家を探しているからだと要約している。鳥山自身は、自らの方法を別の言葉で語っていた。

「いつも子どもの頃の心境を思い出して描いています。」

― 鳥山明、集英社の刊行物から引用したnippon.comの記事による

その愛着は一コマ一コマに表れている。熟練のプラモデル製作者であり、タミヤのコンテストで金賞を受けたこともある。作中の車、バイク、機械は技術者のような丁寧さで描かれた。名古屋の野球チーム、中日ドラゴンズのファンとしても知られる。


― 四 ―

『ドラゴンボール』:頂点の10年半

誕生の経緯を語っているのは鳥嶋である。鳥山がカンフー映画、なかでも50回以上見たというジャッキー・チェンの作品を流しながら仕事をしていると知った鳥嶋は、それを漫画にしてみるよう勧めた。読切「ドラゴンボーイ」が好評を得たことで、『Dr.スランプ』の連載を終えることができた。新連載の出発点は『西遊記』である。猿の尻尾を持つ怪力の少年・孫悟空が、ブルマとともに、願いをかなえる竜を呼び出す七つのボールを探す旅に出る。AFPの配信記事によれば、『酔拳』が亀仙人の着想源になったと鳥山は語っていたという。

『ドラゴンボール』は1984年11月20日発売の『週刊少年ジャンプ』51号で始まった。冒険の旅という当初の構成が人気を落とすと、鳥嶋と鳥山は物語を天下一武道会に絞り込み、さらに規模を増していく戦いへと移っていった。連載は1995年5月23日発売の25号で完結する。10年半で全519話、単行本全42巻、のちに全34巻の完全版として再刊された。その少し前、1994年12月発売の1995年3・4合併号で、日本語版ウィキペディアによれば同誌は史上最高の653万部に達しており、『ドラゴンボール』はその頂点に大きく寄与した。

鳥嶋は鳥山を「偉大なるアレンジャー」と呼んだ。ジャッキー・チェンと『西遊記』から、鳥山は世界中の読者が自分のものとして読む物語を生み出した。

部数

確認できた唯一の公式な数字は東映アニメーションのものである。2023年10月13日付のプレスリリースによれば、単行本は全世界累計2億6000万部を超える。AFPは2024年11月、この数字を集英社のものとして伝えている。広く出回る3億部以上という数字は、日本の出版社によるいかなる発表にも基づいていない。

テレビアニメ化

作品放送(日本)話数鳥山の役割
『Dr.スランプ アラレちゃん』1981〜1986年243原作
★『ドラゴンボール』1986〜1989年153原作
★★『ドラゴンボールZ』1989〜1996年291原作。日本語版ウィキペディアによれば、題名も本人が決めたという
『ドラゴンボールGT』1996〜1997年64題名と主要キャラクターのデザイン。脚本は東映のスタッフ 未確認
『ドラゴンボール改』2009〜2015年158(総数167)『Z』のリマスター再編集版
『ドラゴンボール超』2015〜2018年131ストーリーとキャラクター原案
★『ドラゴンボールDAIMA』2024〜2025年20原作・ストーリー・キャラクターデザイン 公式

日本語版ウィキペディアによれば、『ドラゴンボールZ』の最高視聴率は1994年2月23日の27.5%(関東地区)である。映画では、鳥山は『ドラゴンボールZ 神と神』(2013年3月30日)でストーリーを構想して物語の主導権を取り戻し、『ドラゴンボールZ 復活の「F」』(2015年4月)では初めて映画の脚本を単独で執筆した。続いて『ドラゴンボール超 ブロリー』(2018年12月14日)と『ドラゴンボール超 スーパーヒーロー』(2022年6月11日)の脚本も手がけている。2015年から『Vジャンプ』で連載されている漫画版『ドラゴンボール超』は、とよたろうが描き、鳥山は原作としてクレジットされる。

編集部注 『ドラゴンボールGT』における鳥山の役割は、DVDボックスに寄せた作者のメッセージを引く英語版ウィキペディアのみが伝えており、日本の資料では確認できなかった。『復活の「F」』の公開日は、日本語版ウィキペディアが2015年4月18日、英語版ウィキペディアが4月11日とする。『神と神』の正式なクレジットは確認できなかった。各作品の国内観客動員数も確認できなかった。

― 五 ―

『ドラゴンクエスト』とゲームの仕事

昭和61年(1986年)5月27日、エニックスはファミコン用ソフト『ドラゴンクエスト』を発売した。堀井雄二が手がけ、すぎやまこういちが音楽を担当し、キャラクターとモンスターを鳥山が描いた。初代のロゴに描かれた青い竜も鳥山の手になる。これも鳥嶋の発案で、鳥山の絵があればそれだけで目を引くと考えたのである。鳥嶋はすでに『ジャンプ』誌上でゲーム紹介コーナー「ファミコン神拳」を立ち上げており、その書き手が堀井であった。2026年、堀井は別の証言をユーモアを交えて語っている。鳥嶋からは鳥山がゲームを作りたがっていると聞かされていたが、本人はそんなことを一度も言っていなかったというのである。鳥山は第1作から第11作まで、本編のすべてを担当した。堀井は辛抱強いやり取りを振り返り、『XI』の主人公では5〜6回のキャッチボールがあったと明かしている。2026年9月、スクウェア・エニックスはシリーズの累計出荷・ダウンロード数が1億本を突破したと発表した。

タイトル日本での発売発売元・開発担当
★★『ドラゴンクエスト』1986年5月27日エニックスキャラクター、モンスター、ロゴ。本編第11作まで全作
★『クロノ・トリガー』1995年3月11日スクウェアキャラクター。堀井雄二、坂口博信との「ドリーム・プロジェクト」
『トバルNo.1』1996年8月2日スクウェア/ドリームファクトリーキャラクター。隠しキャラクター「鳥山ロボ」
『ブルードラゴン』2006年12月7日ミストウォーカーキャラクター。音楽は植松伸夫
『SAND LAND』2024年4月25日バンダイナムコエンターテインメント監修。新エリア「フォレストランド」
『ドラゴンクエストXII』2021年発表スクウェア・エニックス開発中 遺作

2000年、『ドラゴンクエストVII エデンの戦士たち』は第4回文化庁メディア芸術祭インタラクティブ部門大賞を受賞した。鳥山とすぎやまこういちが世を去ったのち、堀井は発売時期未定の『ドラゴンクエストXII』を、亡くなった二人の遺作にふさわしいものにしたいと語っている。


― 六 ―

『ドラゴンボール』以後:短編と脚本への回帰

連載を終えた鳥山は、好んでいた短い形式に戻った。『COWA!』は『ジャンプ』に1997年末から1998年初めにかけて、『カジカ』は1998年(マンガペディアは1999年とする)に、短編連作『ネコマジン』は1999年から2005年にかけて掲載された。2000年23号から36・37合併号まで連載された『SAND LAND』は、2023年8月に映画化され、2024年3月20日からはDisney+でシリーズとして配信された。後半の新章は鳥山が考案し、新たなイラストも描いている。尾田栄一郎との合作『CROSS EPOCH』は2006年12月25日に発表され、友人の桂正和のためには「さちえちゃんグー!!」(2008年)と「JIYA-ジヤ-」(2010年)の原作を書いた。2013年の『銀河パトロール ジャコ』は、『SAND LAND』以来約13年ぶりとなる『ジャンプ』での連載である。

画集もその歩みを刻んでいる。その筆頭が1990年1月10日刊行の『鳥山明 THE WORLD』で、序文を作家の村上龍が寄せた。2013年3月27日から4月15日まで、日本橋高島屋で「鳥山明 The World of DRAGON BALL」展が開かれている。しかし晩年の大きな仕事は、映画でもテレビでもふたたび物語の作者となった『ドラゴンボール』の映像への復帰であり、それは『ドラゴンボールDAIMA』にまで続いた。

「ドラゴンボールの世界観の謎にも迫る展開。」

― 鳥山明、『ドラゴンボールDAIMA』発表時のコメント(2023年10月、ナタリーによる)
編集部注 桂正和との合作の題名は「さっちゃん」と誤って伝えられることがあるが、正しくは「さちえちゃんグー!!」である。『CROSS EPOCH』は2006年12月25日発売の、2007年の日付を持つ号に掲載された。『カジカ』の掲載号と『ジャコ』の最終号は確認できなかった。

― 七 ―

フランスとフランス語圏:「クラブ・ドロテ」世代

昭和63年(1988年)3月2日の水曜日、フランスの民放TF1は、1987年9月2日に始まった子ども番組『クラブ・ドロテ』の中で『ドラゴンボール』第1話を放送した。フランス語版ウィキペディアによれば、フランスはヨーロッパで初めて本作を放送した国である。放送時間は短縮され、暴力的と判断された場面はカットされた。研究者ブンタヴィ・スヴィレによれば、TF1には暴力を連想させるものをすべて検閲する傾向があり、制作会社ABプロダクションズのジャン=リュック・アズレーは、エピソードを視聴する心理学者の意見に従っていたと説明している。同じ年、『Dr.スランプ』も大幅にカットされた版で『クラブ・ドロテ』に登場し、のちに民放ラ・サンクでも放送されたが、吹き替えられたのは50話あまりにとどまる。『ドラゴンボールZ』は1990年12月24日に続いた。

吹き替えとフランス語の名前

吹き替えの演出はピエール・トラボーで、亀仙人の声も担当した。ブリジット・ルコルディエが少年期の孫悟空、のちに孫悟飯を演じ、成人した悟空はパトリック・ボルグが引き継いだ。ベジータはエリック・ルグラン、ブルマはセリーヌ・モンサラ、ピッコロとフリーザはフィリップ・アリオッティ、クリリンはクロード・シャンタルである。「サンゴク」「サンゴアン」「トルチュ・ジェニアル(天才亀)」といったフランス語の名前はこの吹き替えに由来する。2002年にグレナ社のため漫画を新たに訳したフェドゥア・ラモディエールは、いったん「カメ・セニン」を採用したものの、のちにその選択を悔やんだと語っている。主題歌はジャン=フランソワ・ポリーとジェラール・サレッスの作で、アリアンヌ・カルレッティが歌った。ベルナール・ミネはシリーズのほかの歌や『ドラゴンボールGT』の主題歌を担当している。

日本フランスフランス語版の声優
孫悟空Sangokuブリジット・ルコルディエ(Brigitte Lecordier、少年期)、パトリック・ボルグ(Patrick Borg、成人)
孫悟飯Sangohanブリジット・ルコルディエ(少年期)
ブルマBulmaセリーヌ・モンサラ(Céline Monsarrat)
クリリンKrilinクロード・シャンタル(Claude Chantal)
亀仙人Tortue Génialeピエール・トラボー(Pierre Trabaud)
ベジータVegetaエリック・ルグラン(Éric Legrand)
ピッコロPiccoloフィリップ・アリオッティ(Philippe Ariotti)
則巻アラレAraleエヴリーヌ・グランジャン(Évelyne Grandjean)
則巻千兵衛Senbeiフランシス・ラックス(Francis Lax)

論争

1989年、下院議員セゴレーヌ・ロワイヤルは著書『ザッピング世代の赤ちゃんにはうんざり(Le Ras-le-bol des bébés zappeurs)』を出し、『クラブ・ドロテ』の番組と日本のアニメを批判した。1991年5月17日、当時の放送監督機関である視聴覚高等評議会(CSA)は決定第91-391号により、1990年12月5日に『クラブ・ドロテ』で放送された『ドラゴンボール』の1話についてTF1に制裁を科した。1996年、『ドラゴンボールZ』は魔人ブウ編の途中で放送を終える。青少年向けの番組表示制度が施行された時期と重なる。最終盤のエピソードは無料放送されず、売店で販売されたビデオカセットで世に出た。

編集部注 1991年の制裁の具体的な内容(RTBFによれば番組内での声明の読み上げ)は、決定の主文で確認できなかった。この制裁を『ドラゴンボールZ』に対するものとする資料もあるが、同作の放送開始は1990年12月24日であり、ありえない。TF1での『Z』の最終放送日は資料によって異なり(1996年11月11日、23日、あるいは1997年6月)、表示制度との因果関係も証明されていない。ロワイヤルは当時ドゥー=セーヴル県選出の下院議員で、しばしば書かれるような大臣ではなかった。

グレナ社とフランスの漫画市場

フランスの出版社グレナは1993年2月、まず85分冊のいわゆる「キオスク版」で漫画の刊行を始め、続いて3月17日から欧米式の読み方向による全42巻版を出した。その後、合本版(2001〜2004年)、2003年からの日本式の読み方向による再刊、全34巻の「パーフェクト・エディション」(2009〜2015年)が続き、40周年にはカラー版の第1巻が2024年5月15日に刊行された。2021年、グレナ社は欧米式の読み方向の版を販売終了とした。フランス文化省は2024年、グレナ社での販売部数を2000万部としており、同社が2022年に公表したランキングは『ドラゴンボール超』を含めて約2600万部としている。ジャック・グレナ社長によれば、刊行当初は暴力描写への苦情も寄せられたという。それから30年、フランスで売れるバンド・デシネ(フランス語圏の漫画)のほぼ2冊に1冊が漫画であり、NielsenIQによれば2023年の販売数は3960万部に達している。

映画、受賞、追悼

『ドラゴンボールZ』の劇場版は1995年10月からフランスの映画館で公開された。2019年3月13日にワイルドバンチの配給で公開された『ドラゴンボール超 ブロリー』は、Allocinéによれば56万1924人を動員し、フランスでのシリーズ最高記録となった。『スーパーヒーロー』(2022年10月5日)は39万2839人を動員している。2013年2月3日、フランス最大の漫画祭である第40回アングレーム国際漫画祭は、鳥山に全業績を対象とする特別賞を例外的に授与した。最高賞であるグランプリに相当する賞を受けた初の日本人と紹介されている。『スレート』誌とベルギーの『ラ・リーブル・ベルジック』紙によれば、作家投票で鳥山の名が首位となっており、この授賞は論争を呼んだ。2019年5月30日には在日フランス大使館での式典で芸術文化勲章シュヴァリエを受章し、本人に代わって担当編集者の伊能昭夫が記章を受け取った。

ベルギーでもTF1の受信を通じて広まり、フランス語版ウィキペディアによれば、のちにクラブRTL、2018年からはラ・トロワで放送された。スイスのフランス語圏でも、作品との出会いは『クラブ・ドロテ』を通してであった。カナダのケベック州では、CRTC(カナダ放送通信委員会)の記録に基づく調査によれば、『ドラゴンボールZ』がフランス本国の吹き替え版で1999年から2001年にかけてTQSで放送された。フランスの作家では、『ドリームランド』の作者ルノ・ルメールが「ドラゴンボールこそ基本」と言い切る。スヴィレによれば、トニー・ヴァレンテ(『ラディアン』)、バラックとミカエル・サンラヴィル(『ラストマン』)は、漫画を知る前に『クラブ・ドロテ』で『ドラゴンボールZ』に強い影響を受けた。

編集部注 『Dr.スランプ』の放送日(信頼性の低い資料は1988年9月5日とする)と、TF1における『ドラゴンボール』初回放送の終了時期(再放送を含め、資料により1989年、1994年、1995年)は未確定である。『神と神』はフランスで全国公開されず、2015年にKazéからソフト化されたのみで、『復活の「F」』も2015年の特別上映にとどまった。『ブロリー』の動員数は集計時点によってわずかに異なる(Allocinéは2019年5月1日時点で56万1924人、JP's Box-Officeは57万1483人)。

― 八 ―

ヨーロッパと世界:地球規模の英雄

スペインでは、1990年2月15日、カタルーニャのテレビ局TV3で、子ども番組枠「クルブ・スーペル3」の開始とともに『Bola de Drac』の放送が始まった。カタルーニャ語で見られる初めてのアニメであり、3Catによれば何世代ものカタルーニャの子どもたちに寄り添ってきた。同局の配信サービスは2024年、575話の配信再開を発表している。ガリシア(TV3より数週間早かった可能性がある)、バスク、バレンシアの自治州テレビでも放送され、1990年代初めのバレンシアのカナル9では視聴率53%を記録したと伝えられる。プラネタ社は1992年に漫画を刊行し、その巻頭には1992年3月22日付の、スペインの読者に宛てた鳥山のメッセージが添えられていた。2021年になっても、バレンシアの公共テレビÀ Puntは、子ども番組の価値基準を理由に再放送を拒んでいる。批判者たちは、女性の描き方にステレオタイプを見ていた。

イタリアでは『Dr.スランプ』が1983年からレーテ4で放送され、『ドラゴンボール』は1989年にジュニアTVで始まり、1999年以降はイタリア1の看板番組の一つとなった。スター・コミックスは1995年から1997年に漫画を刊行し、イタリア語版ウィキペディアによれば、これはイタリアで初めて日本式の読み方向で出版された漫画である。ドイツでは、カールセン社が1997年10月に刊行を始め、ドイツ語版ウィキペディアによればやはり日本式の読み方向による初の漫画となった。同社は2024年、ドイツ語圏での販売が800万部を超えたとしている。RTL 2は1999年8月30日から『ドラゴンボール』を放送した。ポーランドでは1999年10月1日にRTL 7で、ポルトガルでは1990年代半ばにSICで、イギリスでは2000年にカートゥーン ネットワークで放送が始まった。

南北アメリカ

アメリカでは、悟空が「ゼロ」と改名されたハーモニー・ゴールドの吹き替え版が1989年に試験的に放送されたが、打ち切られた。ファニメーションは1995年に『ドラゴンボール』を、1996年9月13日に『ドラゴンボールZ』を放送する。シリーズが視聴者を得たのは1998年からで、カートゥーン ネットワークの「トゥーナミ」枠で同局屈指の人気番組となった。2018年11月22日、ニューヨークのメイシーズ・サンクスギビング・デー・パレードを悟空の巨大バルーンが行進した。ギネス世界記録によれば、同パレード初の漫画キャラクターである。メキシコでは1997年にカナル5で定着した。2018年3月、東映が『ドラゴンボール超』第130話の公開上映を一切許可していないと表明するなか、シウダー・フアレス市は権利者と交渉し、市の発表で1万5000人を集めた。ブラジルでは1996年8月19日にSBTが『ドラゴンボール』の放送を始めている。

鳥山は、ハリウッドによる実写化『DRAGONBALL EVOLUTION』(2009年)への失望を隠さなかった。朝日新聞のインタビューで、自身の提案は取り入れられず、出来上がったのは『ドラゴンボール』とは呼べない映画だったと述べている。

アジアとアラブ圏

韓国では1989年12月14日、雑誌『IQジャンプ』で正式な掲載が始まった。日本の漫画が韓国で正式に輸入された最初の例である。台湾と東南アジアがこれに続き、インドネシアでは1996年にインドシアルで放送された。アラブ圏では、二次資料によれば、アニメはアラビア語でスペーストゥーンにより放送された。2019年に『アラブニュース・ジャパン』のためYouGovが行った調査では、16〜24歳の59%が『ドラゴンボール』のようなアニメを日常的に見ている。2024年3月22日、東京のAnimeJapanで、キディヤと東映アニメーションはサウジアラビアに50万平方メートルを超える『ドラゴンボール』テーマパークを建設すると発表した。中心には高さ70メートルの神龍がそびえる。

各国の初放送

地域題名備考
日本ドラゴンボール1986年2月26日・フジテレビ 原典
フランスDragon Ball1988年3月2日・TF1・『クラブ・ドロテ』
イタリアDragon Ball1989年・ジュニアTV、のちにイタリア1
アメリカDragon Ball1989年・ハーモニー・ゴールド試験放送・1995年・ファニメーション・2001年・カートゥーン ネットワーク
スペインBola de Drac/Bola de Dragón1990年2月15日・TV3・同時期にTVG、EiTB・のちにカナル9、アンテナ3
インドネシアDragon Ball1996年・インドシアル
ブラジルDragon Ball1996年8月19日・SBT
メキシコDragon Ball1997年・カナル5(1994年から有料放送)
ドイツDragon Ball1999年8月30日・RTL 2
ポーランドDragon Ball1999年10月1日・RTL 7
ケベックDragon Ball Z1999〜2001年・TQS・フランス本国の吹き替え版・資料の信頼性は低い
イギリスDragon Ball Z2000年3月6日・カートゥーン ネットワーク
アラブ圏―スペーストゥーン・題名と時期は未確定
編集部注 研究者ローランド・ケルツの、『ドラゴンボール』が1992年に日本国外で初めて正式ライセンスで出版された漫画であるという主張(Anime News Networkが紹介)は、1989年12月の韓国での出版と矛盾する。1989年3月にスペインのカナル・スールで最初の放送があり、成功しなかったという話は一つの資料にしか見えない。香港については、ファンによる年表が1988年2月のTVBでの初放送を挙げるが、確認できなかった。バレンシアの視聴率53%も単一の資料による。『DRAGONBALL EVOLUTION』に関する朝日新聞のインタビューの時期は、引用元によって2013年とも2017年ともされる。アラビア語の題名と初放送の年は確定できなかった。

― 九 ―

逝去と遺産(2024〜2026年)

鳥山明は2024年3月1日、急性硬膜下血腫のため68歳で死去した。訃報は3月8日、バード・スタジオとカプセルコーポレーション・トーキョーの連名で公表された。葬儀は近親者のみで執り行われ、家族への取材は控えるよう求められた。発表は、熱心に取りかかっていた仕事がたくさんあったことにも触れている。集英社は「ジャンプ誌上でたくさんの作品を発表された」作家の死を悼んだ。鳥嶋和彦は「あなたは最高の漫画家でした」「45年に渡りありがとうございました」と書き送った。

「あまりに早すぎます。空いた穴があまりに大きすぎます。」

― 尾田栄一郎(『ONE PIECE』作者)の追悼コメント、オリコンによる

堀井雄二は、ドラゴンクエストの歴史は鳥山さんのキャラデザインとともにあったと振り返り、桂正和は偉大な漫画家というより今も友人としか思えないと語り、『NARUTO-ナルト-』の作者・岸本斉史は、先生はいつも自分の指針だったと記した。公式の反応は漫画界の外にも広がった。北京では中国外交部の毛寧報道官が深い哀悼の意を表し、エルサルバドル外務省も喪に服すと表明し、在日メキシコ大使館も弔意を示した。フランスではエマニュエル・マクロン大統領がXに「彼とともに育った何百万ものファンへ」と書き、ラシダ・ダティ文化大臣が声明で追悼した。ブエノスアイレスでは3月10日、SNSで伝えられた推計によれば数万人のファンがオベリスコの下に集まり、両手を掲げて一斉に「元気玉」を作った。3月24日には、リマで約45人の画家による全長110メートルの壁画が披露された。

ブエノスアイレスで掲げられた無数の手は、孫悟空の仕草だった。鳥山への別れは、その作品の言葉で告げられたのである。

没後の作品

ゲーム『SAND LAND』は2024年4月25日に発売され、2024年1月付の作者のコメントが「本気でおすすめですよ!!」と推した。ストーリーとキャラクターデザインを手がけた『ドラゴンボールDAIMA』は、2024年10月11日から2025年2月28日までフジテレビ系で放送され、同日にCrunchyrollとADNで世界配信、のちにNetflixでも配信された。2026年も、シリーズは鳥山の名のもとで続いている。鳥山の原案と世界観をより忠実に再現するとうたう『ドラゴンボール超』の新版『ドラゴンボール超 ビルス』が2026年10月11日にフジテレビで始まり、同じく原作・ストーリー・キャラクターデザインのクレジットで『ドラゴンボール超 銀河パトロール』も発表された。公式サイトでは2026年から「鳥山明ほぼ全仕事」と題する連載が公開されている。2026年8月24日、フランス大統領府は、キディヤが進めるセルジー=ポントワーズでの『ドラゴンボール』テーマパーク計画を、権利者の合意を条件とし、開業時期未定として確認した。

顕彰

日本語版ウィキペディアによれば、鳥山は2024年に東京アニメアワードフェスティバルのアニメ功労部門で顕彰され、ハーヴェイ賞の殿堂入りを果たした。英語版ウィキペディアによれば、林芳正官房長官は日本のソフトパワーを示すうえで鳥山が極めて重要な役割を果たしたと述べたというが、公式の記者会見録では確認できなかった。数字を超えて、その遺産は後に続いた者たちの仕事に表れている。尾田栄一郎、岸本斉史をはじめとする日本の漫画家の一世代、そしてヨーロッパでは1980年代から90年代のテレビとともに育った作家たちである。尾田によれば、鳥山のおかげで、漫画は有害とされる読み物から、大人と子どもがともに楽しむものへと変わった。

年表

年月日出来事
1955年4月5日愛知県清洲町に生まれる日本
1977年1月名古屋のデザイン会社を退職日本
1978年★『週刊少年ジャンプ』に「ワンダー・アイランド」でデビュー日本
1980年★★『Dr.スランプ』連載開始(5・6合併号)日本
1981年4月8日アニメ『Dr.スランプ アラレちゃん』放送開始・同年度の小学館漫画賞日本
1982年5月2日漫画家みかみなちと結婚日本
1984年11月20日★★『ドラゴンボール』連載開始(51号)日本
1986年2月26日アニメ『ドラゴンボール』放送開始日本
1986年5月27日★『ドラゴンクエスト』発売日本
1988年3月2日★TF1『クラブ・ドロテ』で『ドラゴンボール』放送開始フランス
1989年12月14日韓国で初の正式出版韓国
1990年2月15日TV3で『Bola de Drac』放送開始スペイン
1993年2月グレナ社がフランスで漫画の刊行を開始フランス
1995年3月11日『クロノ・トリガー』発売日本
1995年5月23日『ドラゴンボール』完結(全519話)日本
1997年10月カールセン社がドイツで刊行開始ドイツ
2000年『SAND LAND』連載日本
2013年2月3日アングレーム国際漫画祭40周年特別賞フランス
2013年3月30日『ドラゴンボールZ 神と神』公開日本
2015年7月アニメ『ドラゴンボール超』放送開始日本
2018年11月22日メイシーズのパレードに悟空のバルーンアメリカ
2019年5月30日芸術文化勲章シュヴァリエフランス
2024年3月1日★★68歳で死去・3月8日に公表日本
2024年10月11日★『ドラゴンボールDAIMA』放送開始日本
2026年10月11日『ドラゴンボール超 ビルス』放送開始日本
編集部注 本稿はSAKUGAARTが鳥山明に捧げる最初の資料である。「ワンダー・アイランド」の正確な発売日、バード・スタジオの設立年、リメイク版『Dr.スランプ』の話数、近年の劇場版の国内動員数、林芳正官房長官の発言の原文、ナタリーが伝えたアイズナー賞殿堂入りの年は、なお確定できていない。『Dr.スランプ』と『週刊少年ジャンプ』の部数は日本語版ウィキペディアによるもので、集英社の発表ではない。鳥山の初期の仕事、バード・スタジオ、ヨーロッパでの初期の放送に関する資料をお持ちの読者は、ぜひ編集部までご一報いただきたい。
SAKUGAART · 作家資料 · 鳥山明 · Akira Toriyama執筆:M. El Uasti
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