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特集 · TVシリーズ · スタッフ、美術、トウェイン原作の翻案、フランス語吹き替え · 1980年 → 1982年
トム・ソーヤーの冒険
原題 『トム・ソーヤーの冒険』 (Tom Sawyer no Bōken) · 仏題 « Tom Sawyer » · 制作会社:日本アニメーション(Nippon Animation) · シリーズ:世界名作劇場
フランスで『トム・ソーヤー』といえば、1982年の暮れに『レクレA2』(Récré A2)で耳にした一つの歌の記憶である。日本では、これは日本アニメーションのシリーズ「世界名作劇場」の第6作にあたる。すでに過去2作で手慣れていた監督、同じ持ち場に戻ってきたキャラクターデザイナー、経歴の乏しい美術監督、そしてクレジットの一行ずつに名が読み取れる複数の背景アトリエ。第17話には小林プロダクションまでもが顔を出す。本稿はこの職人たちの連なりをさかのぼり、そのうえで、作品をフランスの画面とディスクまで追ってゆく。
一編の小説、日曜の夜 — トウェインとシリーズ枠
マーク・トウェインの小説が刊行されたのは1876年である。フランス語版・英語版のウィキペディアがそう記している。物語の舞台はミシシッピ川沿いに築かれたミズーリ州の架空の町、セントピーターズバーグ(St. Petersburg)だ。英語版ウィキペディアは、トウェインが少年時代を過ごしたハンニバル(Hannibal)に着想を得た町だとし、フランス語版ウィキペディアは物語の時期を南北戦争前の1844年ごろに置いている。主な場面はよく知られている。トム(Tom)とハック(Huck)は夜の墓地で、ロビンソン医師(Dr. Robinson)がインジャン・ジョー(Injun Joe)に殺されるのを目撃する。ジョーは酔いどれのマフ・ポッター(Muff Potter)に罪を着せる。トムは裁判で証言する。のちにトムとベッキー(Becky)は、インジャン・ジョーがうろつく洞窟で道に迷い、やがて宝が見つかる。二つのウィキペディアは、これらの挿話をほぼ同じ言葉で記述している。
1980年のシリーズは、これを全49話に仕立てた。フジテレビ系列で1980年1月6日から12月28日まで放送されたことは、日本語版ウィキペディア、英語版ウィキペディア、アニメニュースネットワーク(ANN)、そしてghibli.jpn.orgが同じ二つの日付を挙げている。放送枠が日曜の19時30分から20時00分だったことは、日本語版ウィキペディアと、世界名作劇場を扱う英語版ウィキペディアが一致して述べる。制作は日本アニメーションとフジテレビで、日本語版ウィキペディア、英語版ウィキペディア、プラネット・ジュネス(Planète Jeunesse)がこれを裏づけている。
この年、作品はすでに定着したシリーズ枠に属していた。日本語版と英語版のウィキペディアは、枠の来歴について同じことを述べている。「世界名作劇場」という名がこの枠に冠されるのは『赤毛のアン』(1979年)からで、それ以前は別の名で呼ばれ、スポンサーはカルピス(Calpis)一社だったという。つまり『トム・ソーヤーの冒険』は、決定版の名を最初に背負った作品群の一つである。順位については、日本語版ウィキペディアの当該作品の項が本作をシリーズの「第6作」と呼び、シリーズを扱う英語版ウィキペディアは『フランダースの犬』『母をたずねて三千里』『あらいぐまラスカル』『ペリーヌ物語』『赤毛のアン』、そして『トム・ソーヤーの冒険』の順に並べている。
| 年 | 作品(日本語題 · 仏題) | 順位 | 裏づけ資料 |
|---|---|---|---|
| 1974年 | 『アルプスの少女ハイジ』(仏題 Heidi) | 世界名作劇場以前 | 英語版ウィキペディア(世界名作劇場)、日本語版ウィキペディア(世界名作劇場)、ghibli.jpn.org |
| 1975年 | 『フランダースの犬』(仏題 Le Chien des Flandres · 英題 A Dog of Flanders) | 第1作 | 英語版ウィキペディア(世界名作劇場)、ghibli.jpn.org、日本語版ウィキペディア(トム・ソーヤーの冒険) |
| 1976年 | 『母をたずねて三千里』(仏題 Marco · 英題 3000 Leagues in Search of Mother) | 第2作 | 英語版ウィキペディア(世界名作劇場)、ghibli.jpn.org |
| 1977年 | 『あらいぐまラスカル』(仏題 Rascal · 英題 Rascal the Raccoon) | 第3作 | 英語版ウィキペディア(世界名作劇場)、ghibli.jpn.org |
| 1978年 | 『ペリーヌ物語』(仏題 Perrine) | 第4作 | 英語版ウィキペディア(世界名作劇場)、ghibli.jpn.org |
| 1979年 | 『赤毛のアン』(仏題 Anne aux pignons verts) | 第5作 | 英語版ウィキペディア(世界名作劇場)、英語版ウィキペディア(赤毛のアン)、ghibli.jpn.org |
| 1980年 | 『トム・ソーヤーの冒険』(仏題 Tom Sawyer) | 第6作 | 日本語版ウィキペディア(トム・ソーヤーの冒険)、英語版ウィキペディア(世界名作劇場)、ghibli.jpn.org |
| 1981年 | 『家族ロビンソン漂流記 ふしぎな島のフローネ』(仏題 Flone · 英題 The Swiss Family Robinson: Flone of the Mysterious Island) | 第7作 | 英語版ウィキペディア(世界名作劇場)、ghibli.jpn.org |
| 1996〜97年 | 『家なき子レミ』(仏題 Rémi · 英題 Remi, Nobody's Girl) | ずっと後 | 英語版ウィキペディア(世界名作劇場)、ghibli.jpn.org |
この表は、一息に挙げられがちな作品群をあるべき位置に戻すものである。『ハイジ』(1974年)は『トム・ソーヤーの冒険』より6年早く、厳密にはシリーズに属さない。英語版ウィキペディアは、これがズイヨー(Zuiyo)の制作・作画であり、日本アニメーションが正式に設立されたのは『フランダースの犬』の放送中の1975年6月だったと明記している。シリーズを扱う日本語版ウィキペディアは、起点を1969年とするか1974年とするか1975年とするかで見解が分かれると記す。このシリーズの『レミ』が登場するのは1996〜97年にすぎず、『トム・ソーヤーの冒険』から16年後である。『トム・ソーヤーの冒険』の直近の前作は『赤毛のアン』で、1979年1月7日から12月30日まで全50話が放送され、監督は高畑勲(英語版ウィキペディア)。二つの作品は同じ年間枠を占めており、暦の上では1週間のずれがあるだけだ。
日付よりも雄弁なのは、人のつながりである。斎藤博は、『あらいぐまラスカル』(第1〜33話)と『ペリーヌ物語』(第1〜29話)でクレジットされている(アニメニュースネットワーク)。そのうえで『トム・ソーヤーの冒険』を手がけた。関修一は、『ペリーヌ物語』(アニメニュースネットワーク)に続いて『トム・ソーヤーの冒険』(ghibli.jpn.org、日本語版ウィキペディア、eiga.com)のキャラクターを描く。近藤喜文は『赤毛のアン』のキャラクターを設計し、その作画監督も務めた(近藤の項に関する日本語版・英語版ウィキペディア、作品に関する英語版ウィキペディア)のち、『トム・ソーヤーの冒険』に加わる。この作品は試しの一作ではない。シリーズの前の4〜5年間で育った布陣を、そのまま使い回している。
1980年のスタッフ — 斎藤から服部まで
監督は斎藤博である。アニメニュースネットワーク、プラネット・ジュネス、日本語版ウィキペディア、英語版ウィキペディア、eiga.com、Anima Studio の見解は一致している。キャラクターデザインは関修一。アニメニュースネットワークは名を「Junichi」と転写しているが、日本語版ウィキペディア、eiga.com、プラネット・ジュネスは「Shūichi」としている。音楽は服部克久で、参照したすべての資料がこの名を挙げる。美術監督として阿部泰三郎をクレジットしているのは、日本語版ウィキペディア、eiga.com、iroha48、アニメニュースネットワークのデータベース(「Taisaburô Abe」)、そしてSeesaaに置かれたアニメ制作陣のデータベースである。プラネット・ジュネスはさらに美術監督の助手として、サトシ・マツダイラ(Satoshi Matsudaira)の名を挙げている。
プロデューサーの役割は、もう少し入り組んでいる。本橋浩一は、日本語版ウィキペディア、アニメニュースネットワーク、プラネット・ジュネスで製作(エグゼクティブ・プロデューサー)とされる。松土の名も現れる(eiga.com では「松土隆二」、プラネット・ジュネスでは「Ryûji」、アニメニュースネットワークでは「Takaji」)。撮影監督は黒木敬七(eiga.com、アニメニュースネットワーク、プラネット・ジュネス)、音響は浦上靖夫(eiga.com、アニメニュースネットワーク、Seesaaのデータベース。アニメニュースネットワークの綴りは「Uragami」)、編集は瀬山武司(アニメニュースネットワークとSeesaaのデータベース)である。
| 部門 | 役職 | 名前 | 裏づけ資料 |
|---|---|---|---|
| 監督 | 演出 | 斎藤博 | ANN、プラネット・ジュネス、日本語版・英語版ウィキペディア、eiga.com |
| キャラクター | キャラクターデザイン | 関修一 | 日本語版ウィキペディア、eiga.com、プラネット・ジュネス、ghibli.jpn.org |
| 美術 | 美術監督 | 阿部泰三郎 | 日本語版ウィキペディア、eiga.com、iroha48、ANN、Seesaaのデータベース |
| 場面設定 | レイアウト | 坂巻貞彦 | 日本語版ウィキペディア、iroha48、プラネット・ジュネス |
| 色 | 色指定 | 宇野薫 | 日本語版ウィキペディア、Seesaaのデータベース |
| 撮影 | 撮影監督 | 黒木敬七 | eiga.com、ANN、プラネット・ジュネス |
| 原画 | 原画 | 近藤喜文 | 日本語版ウィキペディア(近藤)、ANN、英語版ウィキペディア(近藤) |
| 作画 | 作画監督 | こさこ吉重、後上義隆、桜井美知代 | プラネット・ジュネス + Seesaaのデータベース(こさこ)、日本語版ウィキペディア + プラネット・ジュネス(後上、桜井) |
| 音楽 | 作曲 | 服部克久 | 参照したすべての資料 |
| 音響 | 録音監督 | 浦上靖夫 | eiga.com、ANN、Seesaaのデータベース |
| 制作 | 製作(エグゼクティブ・プロデューサー) | 本橋浩一 | 日本語版ウィキペディア、ANN、プラネット・ジュネス |
作画の領域には、バトンの受け渡しの論理が見える。『あらいぐまラスカル』では、アニメニュースネットワークが原画マンとして、坂巻貞彦(38話)、後上義隆(16話)、桜井美知代の名を挙げている。1980年には、同じ名が、坂巻についてはレイアウト(日本語版ウィキペディア、iroha48、プラネット・ジュネス)、後上と桜井については作画監督(日本語版ウィキペディア、プラネット・ジュネス)の欄に並ぶ。これが同一人物だと述べる資料はないが、表記はどの資料でも同じである。もしそうなら、典型的な内部昇進ということになる。シリーズ前半の原画マンが、3年後には一つの部署の責任者になっているのだ。
脚本は複数の筆者で分担されている。eiga.comが挙げる7名は、宮崎晃、加藤盟、太田省吾、磯見忠彦、富田義朗、神山征二郎、そして7人目として「清瀬武」(読み未確認)と記された作者である。iroha48は同じ顔ぶれを載せているが、富田の表記だけは「富田善朗」と異なる。ラテン文字での読みを示すプラネット・ジュネスも7名を挙げるが、その7人目は斎藤博その人である。
背景、色、撮影 — 目に見えない連鎖
放送に乗るセルは、複数のアトリエの仕事の到達点である。『トム・ソーヤーの冒険』については、資料から五つの環を挙げることができる。阿部泰三郎の美術監督、背景そのもの、彩色、色指定、そして撮影である。
背景は複数のアトリエに委ねられている。日本語版ウィキペディアは三つの会社を挙げる。スタジオアクア、スタジオSF、小林プロダクションである。話数ごとの詳細は、アニメニュースネットワークから得られる。スタジオアクアの項は、同アトリエが23話分の背景を納めたと示している(第4〜16話の偶数話と、第19〜49話の奇数話)。小林プロダクションの項は、この作品については第17話しか挙げていない。Seesaaに置かれたアニメ制作陣のデータベースも、背景の欄にスタジオSFとスタジオアクアが載っていることを確認している。こうして、小林プロダクションのクレジットは二通りに伝えられている。日本語版ウィキペディアはこれを挙げ、アニメニュースネットワークは1話に限定しているのである。
では、これらの背景と小林七郎のアトリエとの関係について、資料は何を語っているのか。ほとんど何も語っておらず、そのことを正確に述べておく必要がある。小林プロダクションの項(日本語版ウィキペディア)は、同社が1968年に杉並で設立され、主として背景美術に専念し、2011年2月28日に解散したことを伝えている。同項は出身者として複数の美術監督を挙げており、男鹿和雄、石垣努、小倉宏昌のほか、大野広司、柴田聡、秋山健太郎、青木勝志の名がある(この4名は読み未確認)。これらの名のどれも、編集部の知る限り『トム・ソーヤーの冒険』ではクレジットされておらず、同じ頁にはスタジオアクアも、スタジオSFも、阿部泰三郎も出てこない。アニメニュースネットワークの小林プロダクションの項が示すのは、名称、設立年(1968年)、そして第17話の一行だけである。言い換えれば、二つの資料で確かめられる事実は一つしかない。小林プロダクションが、第17話で背景に参加したということだ。スタジオアクア、スタジオSF、あるいは阿部が小林の系譜につながるという説は、読んだどの頁にも根拠がない。
色の領域では、二つの部署が名を挙げられている。色指定・仕上検査は、日本語版ウィキペディアとSeesaaのデータベースによれば宇野薫が担当した。セルの彩色はスタジオロビン・アートワークショップに託されており、日本語版ウィキペディアが述べ、英語表記(「Studio Robin」)でSeesaaのデータベースも述べている。撮影、すなわち背景の前でセルを撮る工程は、日本語版ウィキペディアとSeesaaのデータベースによればトランスアーツに帰され、黒木敬七が指揮した。
この一覧が役に立つのは、そこから見えてくるもののためである。このシリーズは、年ごとに安定した美術監督を擁して動いていたのだと思いたくなる。しかし、1977〜1979年の資料が挙げるのは別の名前である。井岡雅宏で、『あらいぐまラスカル』と『ペリーヌ物語』の美術監督だった(アニメニュースネットワーク)。『ペリーヌ物語』については、Animétudes というサイトが、その仕事の後半は、同サイトが井岡の傑作と呼ぶ『赤毛のアン』の準備になっていたと書いており、『赤毛のアン』のスタッフにも英語版ウィキペディアは井岡を挙げている。1980年には、読んだ資料のどれも『トム・ソーヤーの冒険』に井岡の名を挙げておらず、美術監督を務めるのは阿部である。名前が入れ替わったことは事実だが、その理由は事実ではない。
『トム・ソーヤーの冒険』を作る — 作画と翻案
最もよく特定されている仕事は、近藤喜文(1950〜1998年)のそれである。シリーズの原画を担当したことは、近藤の項に関する日本語版ウィキペディア、アニメニュースネットワーク、近藤の項に関する英語版ウィキペディアが述べている。近藤は、日本語版ウィキペディアによればシンエイ(Shin-Ei)を経て1978年に、英語版ウィキペディアによれば1978年6月に、日本アニメーションに加わった。『赤毛のアン』ではキャラクターデザインと作画監督を兼ねていた(近藤に関する両ウィキペディアと、作品に関する英語版ウィキペディア)。翌年の『トム・ソーヤーの冒険』にその名があることは、前作の担い手が同じシリーズで働き続けていること、ただし今度は原画の持ち場にいることを示している。
シリーズ全体では、制作は複数のアトリエに分担されている。日本語版ウィキペディアは、作画監督として、すでに触れた後上義隆と桜井美知代を挙げており、色と撮影の部署については先に見たとおりである。そのほかについては、話数ごとの詳細に当たることができない。参照したどのデータベースにも、原画マンの話数ごとの信頼できる配分は載っていない。
これに対して、キャラクターデザインには論評がある。ghibli.jpn.orgは、この作品に短い解説を割いており、関が『ペリーヌ物語』ののち、キャラクターデザインの持ち場に戻ってきたと紹介している。『ペリーヌ物語』では、ある種の緊張を覚えたのだという。
「『ペリーヌ物語』では緊張したという関修一さんが再びキャラクターデザインを務め、本来の自分の絵柄で挑んだ作品。」
— ghibli.jpn.org、日本アニメーション作品群の概観記事 · ghibli.jpn.org
翻案については、日本語版ウィキペディアの作品の項が、原作との違いを三つ挙げている。当時の日本のテレビの風習に照らして、未成年者の飲酒と喫煙の場面は削除されたとされること。物語の時間の流れが、ところどころ異なること。そして、殺人の発覚が第38話で起こり、原作では第9章に置かれていること。この3点について、日本語版ウィキペディアは唯一の出典である。二つの独立した資料で確かめられることは、もっと言葉少なである。アニメカ(Animeka)とプラネット・ジュネスが挙げる各話のフランス語題は、原作の主要な節目を押さえており、第40話は「Le procès」(裁判)、第47話は「La grotte des soupirs」(ため息の洞窟)、第49話は「Tout est bien」(すべて良し)である。英語版ウィキペディアの作品の項は、第38話を1980年10月12日と記す。最後に、Anima Studio はこれを、トウェインの率直な語り口に忠実な翻案とみる。これは制作上の事実というより、批評家の判断である。
シリーズの終わりをめぐる逸話は、この特集で最もよく裏づけられたものである。第49話には、ジョン・レノン(John Lennon)への目配せがある。レノンが銃撃されて亡くなったのは1980年12月8日で、最終話の放送の20日前にあたる。Anima Studio がこれを語り、フランス語版ウィキペディアの作品の項も、その逸話欄で、暗殺を思わせる新聞の見出しに触れている。二つの文章は事実の点では一致しているが、細部では一致していない。
音楽のほうは、記録するのがより容易である。服部がオープニング主題歌と挿入歌を作曲し(日本語版ウィキペディア、プラネット・ジュネスの「Musiques」欄)、原曲版は歌手の日下まろんが歌う。日本語版ウィキペディア、英語版ウィキペディア、プラネット・ジュネス(「Générique VO」)がそう述べている。ただし、曲名は食い違う。日本語版ウィキペディアは「ぼくのミシシッピー」をオープニングとするが、英語版ウィキペディアはこれをエンディングに置き、オープニングには別の曲(「Dare yori mo tōku e」)を挙げている。
フランスの『トム・ソーヤー』 — レクレA2、声、一つの歌
フランスでの最初の放送は1982年12月13日、アンテーヌ2の『レクレA2』枠である。プラネット・ジュネスとAnimeguidesが同じ内容を記しており、Alf.fr、Superloustic、Anisongも、同じ番組での1982年末の放送に触れている。『レクレA2』は、番組と司会者ドロテ(Dorothée)を扱う英語版ウィキペディアによれば、1978年から続いている。
その後、シリーズは長い再放送の道をたどる。プラネット・ジュネスとAnimeguidesは、1987年にM6の『Graffi'6』で、1988年からFR3の『Amuse 3』で再放送があったとしており、Animeguidesとフランス語版ウィキペディアは、2002年のFrance 5『Midi les Zouzous』と、2008〜2009年のGulliを加える(フランス語版ウィキペディアでは2008年11月25日から2009年10月24日)。配信サービスのADNでも視聴できる。プラネット・ジュネスは開始日を2020年12月29日とし、ADNの作品ページには高精細のフランス語版が掲載されている。
吹き替えはスタジオSOFIが担当した。プラネット・ジュネス(キャストと作品の項)、Animeguides、アニメニュースネットワークの記述は一致している。トムの声はフランセット・ヴェルニヤ(Francette Vernillat)が当てる(プラネット・ジュネス、Animeguides、フランス語版ウィキペディア)。ハックは当初マルセル・ラジュネス(Marcelle Lajeunesse)が吹き替え、のちにプラネット・ジュネスがジャッキー・ベルジェ(Jackie Berger)への交代を記し、Animeguidesは配分を詳しく示している。第1〜7話がラジュネス、第8〜15話がベルジェである。ベッキーはマルティーヌ・レニェ(Martine Reigner)(プラネット・ジュネス、Animeguides)、ポリーおばさんはジャニーヌ・フレゾン(Jeanine Freson)(プラネット・ジュネス、Animeguides)、ドビンズ氏(M. Dobbins)とインジャン・ジョーは C. Dasset(プラネット・ジュネス、Animeguides)が演じる。エドガー・ジヴリ(Edgar Givry)とジョルジュ・オーベール(Georges Aubert)が配役を固める(プラネット・ジュネス、フランス語版ウィキペディア)。
フランス版の主題歌を歌うのはエルフィー・アスティエ=ヴァイス(Elfie Astier-Weiss)で、彼女はドロテとともに番組の司会も務めていた。プラネット・ジュネス(「Générique VF」)、フランス語版ウィキペディア、Superloustic、Anisongがそう述べ、Manga-newsは45回転盤の再発売に関してこれを裏づけている。オープニングの題は「Tom Sawyer c'est l'Amérique」、エンディングは「Le petit monde de Tom Sawyer」である(Bide et Musique、Manga-news)。作者はミシェル・カセ(Michel Cassez)とジャン=ピエール・カルヴェ(Jean-Pierre Calvet)で、フランス語版ウィキペディア、Anisong、Manga-newsはこの二人の名をクレジットしているが、Bide et Musiqueは「Gaston M. Cassez」と「Jean-Pierre Calvet」と書いている。これは完全にフランス製の歌であり、日下まろんの版とは別物である。
受容については、手元の資料は主に記憶である。Alf.frは子ども時代の思い出を語り、Anima Studioは世代を超えた成功を語る。二つの判断は同じ方向を向いているが、視聴率の数字による裏づけはどちらにもない。フランス語版ウィキペディアの作品の項は、このほかにケベックでの放送(Super Écran、TVJQ、Télé-Québec)にも触れているが、日付はない。
ソフト化と、もう一つの『トム・ソーヤー』
日本側については、日本語版ウィキペディアが、1999年8月25日から11月25日にかけて発売された全12巻の最初のDVD版を挙げ、続いて2011年3月25日の「DVDメモリアルボックス」を挙げている。タワーレコード・ジャパン(Tower Records Japan)の販売ページには、同名のボックスが12枚組で載っている。フランスについては、プラネット・ジュネスがVHSのカセット(Héméra Vidéo、Gildas Vidéo)を挙げ、続いてIDP版を、VHSでは1997年11月、DVDでは2001年9月と記している。
今日、重要なのは@Anime版である。プラネット・ジュネスとAnime-Storeは、7枚組のDVD全話版(フランス語ステレオ音声付き)の発売を2014年11月26日としており、プラネット・ジュネスは同じ年にブルーレイ版もあったと述べる。2021年10月13日、Manga-newsによれば、@Animeは5枚組のブルーレイ全話版を新たに発売した。リマスター版で、フランス語版のオリジナル音声とフランス語字幕を収める。All The Animeの商品ページはこれを、49話・計1274分のHD 16/9による修復版と説明しており、『Le petit monde de Tom Sawyer』と題した32ページの冊子が付くこと、第1話については字幕付きの日本語版も用意されていることを記す。
混同しないために
トム・ソーヤーは、ほかにも数多く翻案されてきた。検索結果によく出てきて、この作品とは別物である4作を挙げておく。アメリカのアニメ映画 The Animated Adventures of Tom Sawyer(1998年)の監督はウィリアム・R・コワルチャック・ジュニア(William R. Kowalchuk Jr.)で、IMDbとRotten Tomatoesによる。子ども向けのミュージカルで、声の出演はロス・マリンジャー(Ross Malinger、トム)とキルステン・ダンスト(Kirsten Dunst、ベッキー)。日本アニメーションの1年がかりのシリーズとは、およそ隔たっている。映画 Tom Sawyer(2000年)は、メトロ・ゴールドウィン・メイヤー・アニメーション(Metro-Goldwyn-Mayer Animation)が制作し、ポール・サベラ(Paul Sabella)とフィル・メンデス(Phil Mendez)が監督した作品で、物語を動物たちの登場人物に移し替えている。『Huckleberry Finn et Tom Sawyer』は、プラネット・ジュネスによれば1986年にFR3で放送された、1979年制作のドイツ・カナダ合作の実写シリーズで、全26話である。最後に、『ハックルベリィの冒険』(Huckleberry no Bōken、1976年、全26話、グループ・タック〔Group TAC〕)は、フジテレビの別の日本製シリーズである。
| 年 | 題 | 種別 | 裏づけ資料 |
|---|---|---|---|
| 1980年 | 『トム・ソーヤーの冒険』 | TVシリーズ、全49話、日本アニメーション | 本稿のすべての資料 |
| 1998年 | The Animated Adventures of Tom Sawyer | アメリカのアニメ映画 | IMDb、Rotten Tomatoes |
| 2000年 | Tom Sawyer(MGM Animation) | アニメ映画、動物のキャラクター | 英語版ウィキペディア |
| 1979年 | Huckleberry Finn et Tom Sawyer | 実写シリーズ | プラネット・ジュネス |
| 1976年 | 『ハックルベリィの冒険』 | 日本のTVシリーズ、全26話 | 英語版ウィキペディア |
未解明の点
影の仕事を扱う特集には、どうしても影に残る部分が出る。以下は、読んだ資料が確かめていない、あるいは半分しか確かめていない事柄である。
制作
この作品の美術監督、阿部泰三郎の経歴は、参照した頁には見当たらない。生年も、出身のアトリエも、ほかの仕事もわからない。『あらいぐまラスカル』と『ペリーヌ物語』でクレジットされ、『赤毛のアン』でも名を挙げられている井岡雅宏が、なぜ『トム・ソーヤーの冒険』でクレジットされていないのかも、わからない。背景を担当したアトリエのうち、スタジオSFがどの話数を受け持ったのかも、小林プロダクションがなぜ第17話にしか関わらなかったのかも、わからない。阿部、スタジオアクア、スタジオSFと、小林七郎から出た美術家たちの系譜とを結びつける資料はなく、記録されているのは小林プロダクション自体のクレジットだけである。近藤の正確な役割(原画のみか、作画監督も兼ねたのか)は、クレジットで確かめる必要が残る。原画マンの話数ごとの配分も同様である。
翻案
原作とシリーズの継続的な比較は欠けている。日本語版ウィキペディアが挙げる違い(飲酒、喫煙、時間の流れ、第38話)には二つ目の裏づけがなく、日本アニメーションの誰が削除を決めたのかも、編集部は知らない。第43〜45話(日本語版ウィキペディアは、NHKが差別的な内容を理由に見送ったと述べる)の内容は、読んだどの資料にも記述がない。英語版ウィキペディアが挙げる文化庁の賞の正確な名称も、確認できていない。
フランス
吹き替えの演出家も、台詞の翻案者も、1982年のアンテーヌ2での番組の視聴率も、初回放送の長さも、編集部にはわからない。INAのアーカイブは利用できなかった。再放送の日付は資料ごとに食い違っており、ケベックでの放送は出典が一つしかない。当時の批評家の受け止めは、のちの回想を除けば、記録がない。
証言
阿部、斎藤、関、あるいはこのシリーズの美術家が『トム・ソーヤーの冒険』について語ったインタビューを、編集部は見つけられなかった。日本でこの作品に携わった方(美術、仕上げ、作画、撮影)、あるいはフランスで携わった方(吹き替え、翻案、放送)、また、当時の資料(クレジット、進行表、セル、雑誌)をお持ちの方からの証言を、SAKUGAARTは喜んでお受けしたい。秘匿のご希望は尊重する。